お早うございます。

2016/04/27

うふふ。今朝も散歩です。すると、夫が、「今日は早く帰ってこいよ」と、そうなんです。我が家はお寺でしたので、檀家の方のおばあちゃんが亡くなられ我が家のお寺で葬儀を行います。「はぁ~い」と返事をして、今日は早回りのコースです。でも、葬儀でのお霊膳の盛り付けを、わらびにしようと、ワラビも収穫して我が家です。早く帰りましたよ。すると、お霊膳は、我が家のおばあ様に作ってもらうから、亀の子へ出勤しても大丈夫とのこと、有り難い事ですね。我が家のおばあ様は、1922年生まれです。御年94歳になられますが、お陰さまでとてもお元気です。私はおばあ様にお願いして、亀の子へ出勤することができました。そして、早速に、利用者の担当者会議があります。こうして、一人一人の支援体制を整えて、スムーズに仕事がこなされていきます。そして、こんな地方に暮していても、さまざまな方達との出会いのご縁をいただきます。日本全体を見渡すことができ、世界をも見渡すことができます。この時に、生きているっていいなぁ。って、つくづく思います。そうそう、この間も、公認会計士の松井先生がお出でになれ、凄いお話を伺うことができました。歴史大好きな私にとって、もうわくわくでしたよ。それは、明治時代初頭に大森銀山で初めて鉱山工業で藤田組が入り銀鉱山業を立ち上げました。が思わしくなく廃業にしました。その藤田組とは、大阪を本拠とする藤田財閥でした。男爵でしたので、東京の「椿山荘」を藤田財閥が譲り受けました。もともとは、江戸時代は久留米藩黒田氏の下屋敷でしたが、明治に入り山縣有朋が西南戦争の功により、自分の屋敷として購入した。そして、「椿山荘」と命名した。それを大正時代に藤田組の別邸となった。戦災後、昭和27年からは、結婚式として営業されるようになり、平成に入り、敷地内にフォーシーズンホテル椿山荘が開業した。うふふ。実は私は、そのホテルにお泊りしたことがあるのですが、それはそれは天にも昇るほどの優雅なものでした。早稲田大学で福祉文化学会があり、着物を着て、発表したことがあったのですよ。うふふ。ときどき、思い出すのですよ。「夢に見ますよ」私は、このお話を聞くことにより、「わぁ!凄い。つながった。」と、嬉しくなります。だってね。この大田市の大森銀山から、世界につながり、東京のあの素晴らしい「椿山荘」にも繋がるのですよ。私たちは、先代の方々の生きて来た功績の中で、生きているのですよ。凄いと思いませんか。

うふふ。私の夢がまたまた広がります。ヤッホー!です。