2016/03/22
大田市は、20日・21日と、春の彼岸市でした。中日っあんでした。中世の時代から続いています。そんな素敵な町から出て、私は鳥取へ行ってきました。特急「まつかぜ」に乗って、2時間と30分で行くことが出来ました。20日から21日でしたので、まるまる中日っあんは、お留守でした。福祉をかえる「アート化」セミナーin鳥取2016が県民ふれあい会館でありました。主催があいサポート・アートインフォメーションセンターで企画協力が一般財団法人たんぽぽの家でした。初日の講演は、「社会をかえるアートの可能性」として、一般財団法人たんぽぽの家理事長(奈良県)播磨靖夫氏の講演があった。1942年生まれで74歳なのですが、もう、びっくりポンでした。こんなに頭の柔軟な方がいらっしゃるのだともう感動ものでした。情熱の塊で、私は谷中輝雄先生のパッションと同じものを感じた。希望の匂いも感じることができた。その播磨理事長の一語一語は、私にとっては「光の言葉」のように感じた。障害者のアートの社会化へ。固まっている頭を、アイスブレークしよう。解体する時代の到来だ。アートは変わって来たぞ。障害者アートから新しい芸術祭へ。美術の概念を変えた。マルセル・デュシャン「泉」 やまなみ工房の「かお」井上優の絵画は、「私は花を見る」「花は私を見る」で、生きること自体がアートだ!人はなぜ表現するのか。生きることは表現すること。表現することは生きること。アートは、日常的なことだ。一生懸命、紙をちぎる行為、チューブからプーッと出す。生の命の衝動であり快感になり、自己陶酔し、それが認められれば、可能性が拡がり、「見て!見て!」と、命の泉が躍動する。芸術的才能は、天からの贈り物かもしれない。そうすれば、「与えられる人から、与える人」となり得る。
たんぽぽの家のアートセンターHANAでは、「出来ない事に悩むことでなく、出来ることを発揮しよう」と、ここへきて初めてアートをするようになった。そして、絵を書くことによって人間性の回復をしてきた。演劇のワークショップに通い始め、料理もできるようになった。人間の才能はかぎりない。ヘルマンヘッセの名言に「本物の才能は、いくつもの顔をもっている」「愛は切ない辛いそして大人になる。恋は悩み苦しむためにあるものだ。そしてどれだけ強くなるかだ」
養老孟司の「人間はうれしく感じるものは、自然がくれたものだ」日本人は「自然と一体化」とて、美しいと感じる精神文化を持っている。などなど、もう嬉しくて心が躍った。