随処に主となす。完成で納本です。z根津根

2015/12/21

ほんとに、「随処に主となす」が書物が刊行して、本日ただ今届きました。もう、本当に、現実に、私の目の前に、その書物が届きました。私の亀の子誕生秘話ヒストリーです。もう感激です。ニッチ・ノーマス代表の細田次郎氏にお願いして、本当に良かったと、つくづく思ったところです。感謝・感謝です。 私は平成7年3月に病院を退職しそれからの物語です。今年で平成27年12月ですので、もう満20年と9ケ月になります。私の頭を走馬灯のように過ぎ去った日々が蘇ってきます。職員も当時は4名からでした。平成9年に14名となり、平成14年に23名となり、必要に迫られて新しい事業を少しずつ増やしてきました。その都度、職員の増員をはかり、平成25年には「保育園」を開所、同時に放課後等ディサービスを開所、職員も50名を超えた。続いて、平成27年の今年も、放課後ディサービスⅡを開所し、総職員が70名に達した。

私は社会福祉法人亀の子の総括施設長として、常に先頭に立ちながら、理念と信念を違うことなく、ぶれることなく、大きな志(こころざし)を掲げながら邁進して来たような気がする。

しかし、20年も経過してみると、利用しているメンバー達の年齢は、随分と変動し、若いメンバーさん達に変って来た。それと、同時に、職員達も、社会福祉法人亀の子が何故、この大田市にとって必要なのか、理念・信念が何故大事なのかが薄れてきているのかもしれない。 となると、私は原理原則(プリンシプル)原点回帰を、今後再挑戦していくことになるだろう。

と言うのは、平成27年度に入り、当亀の子では、不可解な不祥事が発生した。メンバーが起こした問題であれば、その対応に奔走するのが、我々の仕事であるので、スキルアップした上質なサービスを提供することは法人としては当たり前のことだった。それが、職員が自ら起した不祥事であるならば、私としては、常々、「人として」を基本としていた私にとって、とても悲しい事だった。あれほど、創立以来、基本的人権の尊重を掲げていた私にとっては、大打撃だった。

その時に、相田みつをの「にんげんだもの」を出された時には、もう、愕然とした。そして、夏場に、また不審なことが起こった。 不快指数が発生すると、上質なサービス提供すら乱れてくる。

基本的人権の尊重がベースにあって、はじめて信頼関係ができ、寄り添った支援体制が取れるのであるのに、何故にこんな不審なことが発生するのか、不思議でたまらなかった。

今年最後のメンバー一同との忘年会を開催した。

私のご挨拶の時に聞いて見た。自分の人生の主人公は自分だと、知っていた人は手を挙げてくださいと、すると、ちゃんと手を挙げた人は、メンバー45名中5名のメンバーだけが手が挙がった。 私はもう驚きだった。

全体を見渡すと、最近利用したメンバー達だったし、年齢が若い人達だった。以前から来ているメンバーさん達は、高々と手を挙げていた。

私は、これからも怠ることなく、「随処に主となす」を徹底して行きたいと、希望が見えてきたところです。