2015/11/18
早いものですね。今年も、あと40日足らずになりましたよ。さまざまな日常がありましたね。当亀の子での、沢山のメンバー達の相談支援体制が亀の子利用者以外の方達の認定調査にも出向くようになり、大田市全体の地域貢献もはかれるようになりました。大田市全体の障害者の支援体制の取り組みが進んできたことになります。ましてや、亀の子だけの支援体制では、とても無理なことで、それぞれの関係機関とも連携をとりながら、支援体制を作り上げなければなりません。この時に、決して、単独施設だけの取り組みでは、質の高い支援とはとても言えません。とかく、行政主導になったり、医者の権威を振り回したりと、なると、素晴らしい支援体制とは決して言えません。ことしは、そのことが如実に体験できた事柄でした。今年の正月明けから、体調を崩したメンバーは、病院受診後にトラブルとなり、県中へ措置入院となった。その彼は、胃癌のステージ4だった。もう、肝臓へも転移していた。その彼が、1ケ月ほどで、彼女の元に退院して来ることとなった。この時点で、当亀の子が介入することとなった。癌疾病については、大田市立病院とした。その為に、彼と彼女と縁者と、病状説明を伺うことになった。相談員が都合がつかず、私が同行受診をして、今後の対応策を、医師とも本人とも縁者とも確認することとした。その時の、医師の対応に私は、憤りを感じた。インホームドコンセント(説明義務)がなされていなかった。そこで、私の仕事業務を名乗り、ステージ4の彼を在宅で支えるための、24時間体制での関係機関とのセーフティネットの話を持ち出した。すると、医師の態度は、コロッと変わり、病状説明が丁寧になった。この医師では、難しいと判断し、市内の内科の医師にお願いすることとし、紹介状を書いてもらうようお願いした。24時間体制なので、訪問看護ステーションもお願いすることとした。 共に暮らしている彼女の支援体制も整えた。この時点でも、本人も彼女も安心して、過ごせるようになった。姉妹である縁者の方は、「こんなに、丁寧に、わかり易く支援体制を整えてもらい、本当に有りがたいです。」「今まで、私達姉妹は、病気の弟が居て、近所でも肩身の狭い思いをしておりました。」「本当にありがとうございます。」と、嬉しさがこみあげていました。 その彼と彼女は、日課のように、早起き会に出席するようになっていた。もう、ステージ4なので、半年は持つかどうかと言われていた。そんな彼は、とうとう、お盆の前に、最後の最後まで、お友達にご馳走したり、早起き会にも行き、8月3日の早朝に、天国へ旅経って行った。
私は、彼達が在宅で暮らすことを支えることが可能になったのだと、改めて、嬉しさがこみ上げた。彼は、障がいがあるとか、ないとか、関係なかった。彼は一人の人として、精一杯、彼の人生を生き切ったのだ。そして、その時、不思議なおはからいが働いた。生涯の伴侶の彼女が、彼の喪主として、凛としていたことだった。
この時に、本当に、「関わりこそ命なり」「聞くは宝なり」豊かな出会いをさせていただいているなぁと、実感したところです。