2015/11/17
雨・雨・ふれふれ母さんは ♪ ジャノメでお迎え ♪ うれしいな ♪
よく降りますよ。間昼間に暗んで降るのはめずらしいですね。こんなに降る日は、家でじっとしている方がいいみたいですね。
昔の人は、ほんとに良く言ったものです。「晴耕雨読」だってね。晴れた日は、畑を耕し、雨の日は、お家の中で読書だなんてね。
しかし、平成の現代の世の中は、なかなかそうはいかない社会に変貌しています。何か、大切なものをどこかに忘れて来てしまっているみたいです。何のために生きているのかさえ、焦点がぼやけ始めています。
今日も、「何か可笑しいね。」と、疑問視を投げかけるメンバーがいます。
午後から、クリスマスのリース作りです。その「変だね・可笑しいね」と言うメンバーも一生懸命作りました。とても上手に出来たので、見せてくれました。「あら!凄い上手ね。自分のお部屋に飾るといいね」すると、「お家にもって帰ると、どこー飾るのかね?」と、文句を言う家族がいるから、持って帰りません。亀の子の玄関に飾ります。と、言って、とうとう飾ってしまいました。
家族の本来の役割は、親子が安心して認めあい、許しあうところなのに、何故、家族に受け入れられないのだろうか。最近の家族は、安心の場ではなくなってきたのだろうか。不思議です。子ども達や障害者達は、お家の中でも肩身の狭い思いをして、気兼ねしているようだ。 なんか変ですね。
私の幼少の頃の、我が家は、オアシスだったような気がする。また、母方のおじいちゃん・おばあちゃんの家に行っても、もろ手を拡げて、「よ~きた。よ~きた。」と、迎えてくれた。
今朝の「あさが来た」でも、おじいさんの最期を、家族一人一人が見送った。情の深いやりとりがあった。子どもながらに、心のひだに染みついた優しさがあった。あのテレビの場面を見ていて、私はこみ上げる人間の心情をくみ取ることができ、涙が頬を伝う。 あぁ! 現代は余りにも、情が無さすぎる、人間は何の為に生きるものなのかと、私はセンチメンタルに陥る。
温故知新です。この私の気持ちを失うことなく、これからも、当事者に寄り添って生きていきます。