戦後70年を迎え、戦争の悲惨さを痛切に感じています。

2015/08/12

と、言うのは、私たちのこの命は、その戦争を体験して来た人達から繋がっている命を、本日ただ今生きているからです。特に、この私も、実家の父が、戦地に行き「九死に一生」を得た命だったのです。実家の母も、戦時中、小学校の先生をしていて、「竹やり」の練習が教科があったとか。そして、夫の理事長の父親は、男子誕生の知らせを受けたのか定かでなく、戦死してしまった。だから忘れ形見として育ってきたようだった。

だから、私は余計に平和について、今、真剣に考える時だと思っている。本当は、この重要な時期に本領を発揮するのは、日本の政治家だと言える。

しかし、今の政治家は、「どこを向いて政治を行っているのか」、真意がくみ取れない発言に憤りを感じている。それで、日本国のリーダーと言えるのか怪しい。 ついこの間、千葉の親友から、一冊の本を渡された。その本は『18歳のあずさ~先天性網膜色素変性症を乗り越えて「南條あずさ遺稿集」』横井とし子編だった。彼女は、先天性網膜変性症で目の不自由さを乗り越えて結婚をし、多趣味で英語の勉強もし、夫婦で21ケ国の海外旅行も楽しみ、ips細胞の登場では20年後には手術も可能と希望をもって暮らしていた矢先、50歳の誕生日を過ぎた5月に、最寄りの駅のホームから落ちて電車に撥ねられて即死でした。その彼女の高校卒業の卒業レポートがみつかり、この度、遺稿集を作成したというものでした。私は、その遺稿集を、一気に読み上げました。

私は、社会福祉の事業所のプロ集団として、社会福祉法人を運営しています。

この本を読み、日本の社会福祉のお粗末さを、実感することが出来た。

彼女のレポートの中に、国際障害者年の国連の行動計画の中に、「障害者や老人のような一部の弱い者たちを締め出したりするような社会は、弱くて脆い社会である」とあり、ということは、「障害者も含むすべての人々が共に生き抜くような社会こそ、真に強くたくましい社会である」と言えます。

では、現在この「弱くて脆い社会」をいかにして「強くたくましい社会」へと変えていくか。今、問われています。

現代社会と福祉の現状の項目でも、権利としての社会福祉では、現代は福祉が破壊されている状態だと指摘されています。

現代資本主義の豊かな物づくりは計画性を失っています。国民は、いつ交通事故にあうか、労働災害にあうのか、常に危険にさらされています。それにもかかわらず今の社会は労働者は働くだけ働いて大量に物を生産して物だけはとても豊かになっても、福祉の方には手が回らない、最近政治にしても、防衛力を整えるための予算はどんどん増えています。

などなど、私にとって、うなづくことばかりです。どうして、こんな日本になるのでしょうか。

彼女が書いているように、決してあきらめないで努力し続けようと思っています。

さぁさぁ、ご先祖さまに、恥じないように、しっかり生きていきましょうね。お盆さんには、ご先祖供養しましょう。お墓参りをしましょうね。