こだわらない心・偏らない心って、常にアンテナですね。

2015/06/08

こんにちわ! 6月に入り、やっぱり梅雨ですね。じめじめしています。心なしか、落ち着いて物事がよ~く見えますね。今日の朝礼でも、一言メッセージの発表があったのですが、その内容が、なかなか見えないのです。「車に乗って、親戚の結婚式に行きました。」私は、素敵な事を聞いたので、その後も聴きたくなりました。「この大田から東方面ですか、西方面ですか。どうして行きましたか、高速に乗りましたか、親戚とは、どんな関係の方ですか、結婚式はどんな結婚式でしたか?」彼の返事は、単語がポンポンと並ぶだけです。それを一生懸命つなげて、やっと話のストーリが見えます。どんな格好で結婚式に臨みましたか。彼は、ゆっくりと「はるやま」のスーツに革靴を履きました。と、答えてくれました。どうでもよかったらこんなに聴き出さなくてもいいかもしれませんが、一人一人が、この亀の子を利用して、自己主張と自我主張の違いを分かっていただければ嬉しいのです。そして、人間関係をスムーズにしていただければ幸いです。つくづく感じるのは、若い人たちの自己表現がとても分かりにくいからです。と言うのは、話の端々に、自分に不都合なことが起こると、いとも簡単に、「わかりません」「知りません」と、あいまいに見過ごしていくことです。しっかり、大事な時間を過ごしているのに、大切にしようとしない癖がとても気になるところです。

また、いつも亀の子の給食を注文している彼は、今日は弁当です。その弁当を見て、私は、またまた驚きです。それは、もう20年も前の事です。1995年のことです。無認可共同作業所でのことでした。あの頃は、給食は有りませんでしたので、メンバーはみなさんお弁当でした。その中身が実にさまざまでした。今日のように、弁当箱に白ごはんを詰めて、一列にたくあんがのせてあったり、おかずは天ぷら1枚だったり、鯖缶を半分だったり、カップラーメンだったりと、食の貧弱さを嘆いていました。だから、料理教室をしたり、亀の子工房での授産科目を給食にしたりして、食の確保を考えた所でした。しかし、20年経った今日でも、メンバーの中には、そんな貧弱な弁当を持ってきていたのです。私は今まで、何を教えて来たのだろうかと、情けなくなったところです。

時代がいくら変わろうと、一つ一つ丁寧に、お話を続けて行かねばならないなぁと、反省したところです。