やむにやまれぬ大和魂

2015/04/28

ここ最近、無性に時代のイノベーションを感じる。当亀の子は、ここ亀の子を興した時から、時代の潮流に乗ってきたと言える。それは、マイノリティな当事者達と暮らしていると、より感じるようになった。時代の最先端を走っていると感じる。すると、日本がどう変わらなければならないかまで、情報が入ってくる。つい最近では、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授、西鋭夫のリアルラストサムライの異名を持つ方の「新説・明治維新」の講演禄のCDが手に入った。早速、聞いて見たが、目から鱗だった。面白い事実に、いやはや歴史は面白い、歴史大好き人間にとっては、たまらない。そして、NHKの大河ドラマも大好きだ。巷に「八重の桜」は視聴率が良かったが、「花燃ゆ」は、人気が今一つなどの世間の風潮は、意外と気にならぬ私がいる。それよりも、吉田松陰の名言が気になる方だ。

八重の桜もそうだったが、「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり」などは、現代でも、この名言は通用する。実は、この私も、この吉田松陰先生の名言を、言い続けて、今日に至っていると言っても過言ではない。

「やむにやまれぬ大和魂」も、決断する時には、使わさせていただいている。

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」

夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし。計画なき者に実行なし。実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。

実行なき者に失敗なし。失敗のない者に反省なし。反省なき者に進歩なし。

だいたいにおいて、世間のうわさというものは、あてにならぬものである。

自分の価値観で人を責めない、一つの失敗で全て否定しない。長所を見て短所を見ない。心を見て結果を見ない。そうすれば

人は必ず集まってくる。

学問とは、人は如何にあるべきか、如何に生きるべきかを、学ぶことである。

すると、東京の氏家氏からメールが届いた。精神科の戦後史 「クラーク勧告(1968年)の検証と今日の課題」のレジュメが送ってきた。ふむふむ、折角、1968年にWHOからクラーク勧告が日本政府にされたのに、日本政府は「英国は何分にも斜陽国でありまして、日本がこの勧告から学ぶものは全くありません」と、発言し取り上げられなかった。

ここが大きな転換期となったことは、歴史的事実であった。そして、現在、先進国の中では、断トツに入院患者多い国が我が国なのだ。大きな誤りは、もうこの時代に終決したいものだ。