お早うございます。

2015/04/07

春・春・春です。新しい時代に大きく舵を切ろうとしています。地方選、真っ只中です。私の同級生で和田章一郎氏は、島根県議を今まで、3期務めています。昨年の12月に衆議院選挙があり、和田氏は、県議を辞め、急きょ出馬しました。それも、島根は1区と2区で、1区の松江地区で出馬しました。私もわが友が国政に出られれば、必ずや、この島根からも、政策提言が叶うと、絶大なる応援をしました。しかし、島根はどうしても保守党が強く、改革姿勢が乏しく、もう少しのところで、悔しい思いをしました。彼には、「負けて悔しい花1匁」と、エールを送った所でした。そしてそして、今年の春に、彼は島根県議に再度出馬です。私は、彼には絶大なるご恩があるのです。この社会福祉法人亀の子がここまで、事業展開できるのは、彼がその基盤を造ってくれたと言っても過言ではないのです。もう、20年も前のことです。私が石東病院のケースワーカーだったころ、彼は大田市役所の社会福祉課長でした。まだまだ、大田市では、障害者福祉については、差別、偏見が横行していました。特に、精神障害者については、尚更でした。そんな中、現在のふぁみりーわーく、当時は無認可の共同作業所亀の子村ファミリーワークの管理棟の建設費用840万円の大田市が助成金として付けてくれたのです。あの当時、私は、市役所OBの人から、随分と厭味を言われた。たぶん和田氏も言われたことと思う。あの当時、大田市役所からも、随分と意地悪をされた。女だてらにと、もう見え見えだった。あの頃、私は「男に生まれていたなら」と、何度も悔しい思いをした。だから、和田氏や、里の弟、坂根理事、夫の森山理事長に助けを求めた。

あの苦しかった大きな大山を越えることができたのは、大田の町の中に、あの管理棟がまずシンボルとして、建設されたことでした。メンバー達も、20年前は、15人位でしたが、僕たちの主人公の作業所だと言うことで、通所者は、1年も経たないうち40名近くにもふくれあがったのです。そして、この多さに驚き、法人化に向けて、奔走し始めました。

となると、今思うのに、和田氏は、先見の眼があったと言える。「愚か者は、体験から学び、賢き者は、歴史から学ぶ」と、言うが、まさにその通りだと言える。そして、彼は、有言実行なのだ。そんな彼を、大田人は、まだ知らぬ人の多いことかと、悲しくなる。 大田人の「井の中の蛙大海を知らず」が余りにも多すぎる。

もっともっと、眼を開いて、かじ取りを間違わないように、私も進もうと思う。