日本のお正月風景が薄れて行くのか。。。。

2015/01/06

私が育った、昭和の時代のお正月風景は、とても、のどかだった気がする。

大晦日には、父親は、竹藪から竹を取ってきて、すす払いが始まる。母親は、手ぬぐいを姉さん被りにして、真っ白な割烹前掛けをして、障子のはたきかけをしていた。

そして、それが終わると、家族全員が集合し、大きな臼がでて、その臼にお湯が足される。

その横のかまどには、大きな蒸籠(せいろ)には、もち米が蒸されている。

いよいよ、大きな臼に、蒸したもち米が、入れられ、父親が巧みに、その餅をこねだす。しばらくこねると、一塊になり、その一塊をめがけて、大きな杵が、高々と持ちあがられ、ストーンと、その一塊に落とされる。それが、何度も繰り返される。子ども達は、その様子を、「ペッタン・ぺったん」と、脳裏に刻みこまれる。

大きな臼の中のもちは、ぴかーと真珠のように輝く、すると、母親は、その真珠のような餅を、息もつかずに一気に、大きな餅もみ台の真っ白い餅の粉の中に、落とす。すると、大祖母は、真っ白くした手で、その餅をおおきな棒上に伸ばし、先端はもっと細くし、大きな手で親指と人差し指で、小さく切り分けて行く、その切り分けたお餅を、母親ゃ父親や子ども達が、次々と、丸めて行く。小さな子供は、遊び遊びするので、お叱りをいただく。そして、丸めた餅を、もろ板に入れて、表の部屋に運ぶ。表の部屋には、藁で編んだこもが広げてある。その上に広げて行く。丁寧に真っ直ぐに、なんでも小判のかたちに成るとか。お鏡さんも、大人の母やおばあさんは上手だった。

なんとも言えない、おだやかな時間が流れていた。

父親は、いつの間にか、納屋で、しめ縄飾りを作っていた。

そして、夕方、暗くなると、仏間や神さんだなには、灯がともされた。

食台には、お神酒が出され、大祖父から父親にお神酒が注がれた。そして、年越しそばが全員に配られて、おそばを全員がいただいた。

その大晦日のお風呂の着替えは、すべて新品のパンツ、シャツ、寝間着が揃えてあった。昭和の子どもの寝間着は、夏は浴衣、冬はネルの寝間着だった。

そして、お正月を迎えることとなった。夜の過ごし方も、ゆっくりしたものだった。テレビもない、真っ暗な暗闇がつづいた。だから、子ども達の間では、胆試しだとか、お化けの話で、盛り上がった。夜中に、トイレに行くのが怖かったりもした。

さてさて、いつごろから、こんな昭和の時代が無くなってきたのだろうか。

昭和39年のオリンピック、昭和45、大阪万博、と、高度成長の時代が続いた。

新幹線、高速道路、と、世の中は、急速に変化してきた。