亀の子では、毎日がドラマの始まりです。

2014/10/30

最近のことです。我が家に小冊子のカタログが届いた。「人生は喜びに満ちている!目からうろこの曽野流・生き方講義」の冊子だった。ふむふむ曽野綾子さんの講話集のことだった。私はこのカタログだけで、満足してしまうくせがある。うふふ、いいとこどりすることが得意なのです。以前から、気に入っていた言葉が出て来た。私は、我が家がお寺でもあるので、本質的には仏教徒なのだが、なぜか聖書に出てくる言葉も気に入っている。今回は、聖書の「コリントの信徒への手紙」13章4節の「愛」の定義です。『愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」。凄いと思いませんか、私がまだ若い頃と言っても、三十路の頃でしょうか。まだまだ、精神障害者に対して、差別偏見が強い頃のことでした。大田の町でアパートを見つけて、私の姉ですと偽って、契約したことがありました。翌日、その大家さんから、病院の者は要れないから、契約破棄だと断られ、落ち込んでいたところ、クリスチャンの恩師に、一緒にお祈りをしたことがあった。この時に、出会った言葉が、この章であった。

すると、翌日には、病院の近くの住居が偶然にも見つかり、大家さんも歓迎して貰えた。そして、そこを利用してくれた彼女は、自分の人生を取り戻したかのように嬉々として暮らしを楽しみだした。

なんどか訪問して、お茶をご馳走になった。彼女はクリスチャンだったので、教会のお友達も、何人か尋ねて来られていたようだった。

あのころのさまざまな積み重ねがあり、今があるような気がしてならない。だから、まだまだ、物語は続くだろう。

今日も、亀の子では、ドラマが展開している。進行形であるのだ。