2021/02/25
「どなたですか。」っと、聞いてきた人があった。もう、随分昔の事だ。未だ、社会福祉法人亀の子が出来ていない頃の事だった。1996年10月の頃だろうか、無認可共同作業所での事だった。トイレに、「相田みつを」さんの日めくりを掛けていた。あの当時、作業所は、プレハブ小屋を二棟連ねていた。あの頃、私は必死で、燃えていたのだろう。私のその一途な語り口に、耳を傾けてくれた。そして、その人から、「あんたは。襤褸は着てても心は錦だね。」と言われた。そして、「あのトイレの日めくりは、誰が書いたものかね。」と。「あれは、有名な、書家さんで、相田みつをさんです。」なんて、堂々と発言していたようです。実は後で知ったのですが私だけが知っていたらしいのです。この時の相田みつをさんは、昭和59年(1984)に東京の百貨店の5階に、相田みつを美術館を創設されていたのです。今は、東京国際ホーラムに大きな立派な相田みつを美術館があります。だから、未だ東京国際フォーラムでないときに、出かけては、寄って買ってきていました。特に、私が曹洞宗でしたので、この相田みつをさんは、書物の「正法眼蔵随聞記」の書物を付箋をつけて、学んでおられた方でした。曹洞宗の高福寺の住職武井哲応老師に学んでおられ、書道の字もとても立派な書を書かれる方ですのに、平易な字で書かれているのです。そして、平易な誰でもわかり、なるほど、そうだよね。と、私にとっては、納得いく言葉ばかりだったのです。 だから、私は、直ぐに飛びついたのだと思われます。
しかしです。今考えてみると、まるで、私とは関係ない人も居たということになりますね。
今日みつけた、エッセイの中に、相田みつをさんの本をいただいて、9年間も見なかった人がいたのだ。私は、その見なかった人を、どう思うのだろうと考えてしまう。 それも有りかと、許すことにしましょうか。