東京の友達から、関東平野が一望できる先に見える富士山の写真が送って来た。

2021/02/16

ちょうど、亀の子では「お茶会」の日だった。「どうぞ一服です。お菓子は、桜餅です。」と。私は感激です。東京の友からの、写真を拡大して、富士山を眺めながら、お薄をいただいた。至福の幸せを感じることができた。私は、こうして、日々のひと時を、味わい深く感謝して過ごすことができる。本当に有り難い事だ。実は、昨日の事ですが、大田圏域での「令和2年度大田圏域精神保健医療福祉協議会」(精神障がい者地域生活移行・地域定着支援圏域会議)が協議会の庶務と進行を県央保健所が主催として実施された。この協議会は年に1~2回開催するとなっており、このコロナ禍でもあり、大田市民会館の中ホールで開催された。出席者は、23名と、主催者側は7名だった。所長の挨拶があった。初に拝見する所長さんだった。その昔は、私のご存じの方ばかりだった気がした。うふふ。自分が年を重ねたきたせいだろうか、私の所長を見る目が肥えてきたのか、その挨拶にも文句が言いたい私が居た。困ったものだ。「おいおい!この大田圏域の所長さんでしょ。この大田圏域の医療機関がどうなのか、福祉関係施設がどんなのがあるのか、労働関係機関がどうなっているのか、行政機関はなんぼあってどんな活躍をしているのか、そして、それに関係する機関(例えば、家族会、当事者会、ボランティア会)などなど、調べて来たのかい。でも文句は言いませんでした。

その後、部長さんも知らない人でした。どうも、7人居られて、たった一人の保健師の佐藤さんだけ知っていました。

多分、私が知らないぐらいだから、出席した23名は、きっと、ほとんど知らなかったのではないかと、私は思いましたね。やれやれ、これで、連絡協議会をするのなら、先ず、事務局側から、自己紹介をするべきでしょ。と、一体もったい何の為の会だったのか、悲しい限りでした。

でも、大田圏域の精神保健医療福祉の取り組みや現状についての発表は、素晴らしいものでした。医療機関の石東病院も心の医療センターも、訪問看護ステーションめぐみも、社会福祉法人亀の子も、大田障がい者就業・生活支援センター・ジョブ亀の子も社会福祉法人おおなん福祉会ハートフルみずほも、大田市介護支援専門員部会も大田社会福祉協議会も、邑智地域介護支援専門員協会も、美郷町社会福祉協議会も、三瓶友の会(当事者会)も、邑南町家族会も、大田市健康増進課も地域福祉課も川本町健康福祉課も、美郷町健康福祉課も、邑南町、福祉課も保険課も、松江保護観察所社会復帰調整官さんも、皆さんの取り組みを発表されましたが、私は、10年前20年前に比べて、確実にこの大田圏域は、精神保健医療福祉のネットワークの構築が進行していると、実感できた所でした。

そして、もう一つ実感できたことは、20年前の事ですが、この大田圏域は、島根県の中で、精神保健医療福祉は、谷間の存在でした。

しかしです。この谷間は、見事に埋められ、メンバー達は地域の社会資源を上手に使って、障害を持っていても、この大田圏域で、堂々と物申し、生きて行けるようになったと、実感できるようになりました。だから、この島根県では、谷間ではなく、中高になったようです。  私は、とんと昔に、谷中輝雄先生と約束したことがありました。私が病院を辞めて、無認可の共同作業所を町中に設立した時の事です。「森山さん。病院と、地域社会との隔たりがあるだろう。城が病院であれば、その周りは、お堀があり、自由には行けないだろう。森山さんは、そのお堀を埋める事をこれからして行けばいいよ !!」と、言われたことが有りました。

私は、この先生の言葉が、ふと、私の脳裏に閃きました。あぁ。そうだった。このことだったのだと、合点したところです。