2021/02/03
時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず ♫素敵ですね。1913年(大正2年)に発表された唱歌ですね。
長野県安曇野の雪解け風景に感動して「早春賦」の詩が生まれたようです。作詞は吉丸一昌 作曲は中田章です。
意味は、春と言われても名前のみで風が冷たい。谷にいるウグイスが歌うかと思ったが、まだその時期ではないと声も出そうともしない。早春賦とは、「賦」とは漢詩を歌うこともしくは作ることを指します。「早春に賦す」早春に歌を作る事ですね。うふふ。昔の人は、とても丁寧で、心が美しいですね。 この歌をこの立春に歌っていましたね。
なんかとても、懐かしいです。 丁度、今から遡ること108年前の事です。凄い事ですね。私達は、ちゃんと確実に、いっぽ一歩、その歴史を土台にして、今日を迎えていますね。うふふ。有り難い事ですね。私は、歴史が大好きですし、「人」が大好きですので、より深くそう思う私が存在しているのでしょうね。だから、NHKの大河ドラマの「麒麟がくる」が、もう最終回なのです。それも、今回の明智光秀を演じている俳優さんは、長谷川博己(43)さんでしたね。歴史ヒストリー番組で、ご先祖が島根県の玉造温泉の開拓者
で天皇陛下も行幸なさった家柄の出身だったと。なんか、島根県人は感動しましたね。そして、光秀役が今回は、「三日天下」の裏切り者の汚名挽回だったのか、「やむに止まれずの事態に至った。」のか、凄い形相で、その役柄を観ることができた。
特に面白かったのは、松永久秀の「平蜘蛛の茶釜」のいきさつである。信長が所望していたが、久秀は断じて渡さない。諸説色々あるが、あの平蜘蛛の茶釜は、松永久秀と共に、大和信貴山城にて籠城し、自爆して果てたはずである。しかし、何故か、今回の演出は、明智光秀に渡っている。信長の果てしなき野望に、光秀の、その野望にどう対抗するのか、興味深々だった。帝と信長の思惑も面白い、帝との、「蘭奢待」のやり取りも面白い、そして、帝と光秀のやり取りも、なかなかのものだった。「いかなる折も、誇りを失わぬ者。志高き者。心美しき者だけが持つことが許される。」の台詞は、中々のものだった。平蜘蛛の茶釜が信長に渡った時の、信長の台詞には、帝と光秀の価値観とは雲泥の差が生じていた。今回の演出家には、驚きだったし、面白かった。