2020/12/08
不易流行(ふえきりゅうこう)~物事は変わらないものと変わるものの両方が必要です。決して変わることのない不易性とのバランスが大切であると。伝統を守りながらも不易流行の精神で新しいい挑戦を続ける。「人は何のために生きるのか、それは幸せになるために生きる。利他行に尽きる。私は、この不易流行と聞いて、昔、精神科病院のケースワーカーだった頃の事を思い出した。病院にはアルコール中毒、今ではアルコール依存症と言って居ますが、AAの12のステップ方式で、薬物依存からの快復のミーティングを実施していたことがあった。その時に、自分がアルコール依存症である自覚がなかなか難しい時に、このAA方式を使ったことがあった。それが、この不易流行だった。「変えられないものは、変えられないと、自分で認め受け入れて行こう。」そして、「変えられるものは、勇気を出して変えて行こう。」と、やっていました。それは、すべての事に言えることで、あの当時、統合失調症についても、自分は統合失調症であることを受け入れられない人が沢山いました。私は何度も何度も、自分を「あるがまま」を受け入れることは自分を受け入れることになり、病気をしている自分も自分なのだよ。と、言うことを必死で、話していましたね。それを、医学的には、自己覚知といい、「病識を持つ」ことになります。その事が、理解できた人達は、たちまち「元気に」なっていきましたね。「なんだ。そうなんだ。病気をした自分は悪い悪いと思っていたけど、違うんだね。」「なんだ。俺も、あんたも、「ただのひと」なんだね。」と、解ってくれました。もう、20年も30年も前の事なのに、あの時は、とっても、嬉しく思ったことがありました。
と、思うと、今回、このコロナ禍でも、人間の原点を知ることが大切なんだなぁと、言うことが分かりましたね。
そして、禅語の中に、「帰家穏坐(きかおんざ)」という言葉も私はとても好きな言葉なのです。邪心の無い心に帰るということなのですが、人間に生まれた私たちは、いつも何かの時に、いつも、原点の命の尊厳に立ち返ることが大切なのです。それが、邪心の無い心に帰ることなのだと思います。とかく、学歴だ、美貌だ、体形だ、金持ちだ、だと、外形に囚われますが、違います。
人間教育は、学校だけの勉強ではありません。この人生をちゃんと歩まなければ、人間ではないのです。
現在の社会は、どこか、方向性が間違っているなぁと感じる私がいます。「生老病死」は、当たり前の事です。その当たり前に、現代社会は、何かおかしいですぞ。おじいちゃん、おばあちゃんの葬儀には、孫も連れて行く親であってほしいですね。