2020/10/27
私は、野の花がだいすきなのです。何故かって言うと、只、咲いているからです。うふふ。だってね。人間様って、「あっ綺麗だわ!!」って、自分の事のように、自慢したくなるのです。我が家の裏山を今年の夏に、大きな木を、森林組合の方達にお願いして、間引いてもらいました。実は、裏山には、お大師さま巡りのお堂が点在していました。尾根を巡ってあったようです。佐山八十八ケ所として、存在していたようです。私が嫁に来た頃には、そのお大師堂の痕跡は残っていました。もう。嫁に来てから、50年近くになりましたからね。その尾根に孫と上がってみましたが、そのお大師堂は、跡形もなくなっていました。しかし、尾根伝いに道は歩けるようになってはいました。孫と大きな切り株に、腰かけて、三瓶山を眺め、里山の風景を堪能できます。丁度夏でしたので、稲が一斉に、絨毯を敷き詰めたように素晴らしいものでした。聖徳太子が、長閑な都を見られ、煙突から煙が棚引いているさまを見られて、平和の世の中を連想なさったというのは、本当だろうなぁと、思いを馳せたところでした。
秋になり、裏山の崖には、黄色い麒麟草が今年は、ことのほか、沢山咲きました。余りにも健気でかわいいので、お友達に、ラインで送信です。田舎に住んでいると、こんな素敵な事が、日常に溢れていますよ。って、送信です。秋の麒麟草は、なんとも可愛いので、「幸せを」運んでくれているみたいなのです。 すると、ラインのお友達は、「何の花?」「えっ。麒麟草」って、かわいいスタンプが送られてきます。 うふふ。何でもないことなのだけど、心が、ぽっと温かくなります。「し・あ・わ・せ・」って、思います。