失われた30年って、何だろうねぇ。平成7年~令和7年が(30年なのです。)

2025/12/12

1995年~2025年。私も48歳~78歳なのです。この失われた30年と言うのは、実は、亀の子が誕生して30年なのです。ということは、精神科病院を退職して、30年経過したことに成ります。

1995年~1997年は、無認可共同作業所「ファミリーワーク」だったのです。日本の社会は失われた30年かもしれないが、障害者福祉事業(社会福祉法人・亀の子)を、ここ大田市に新しく展開できたことは、大田市の障害者(3障害者達)にとっては、ここ大田市にとって、人権意識の向上に努めたことになり、バリアフリー・ノーマライゼーション・ユニバーサルデザイン・インクルーシブルな社会に確実に近づけたことに成ると言える。と言うのも、誰がそんな環境にしたかと言うと、当事者が自分を隠さない生き方を、地域社会で、堂々と暮らしてきたからだと言える。やっぱり、ひとりの人が、大きな声で、「障害者を理解しましょう」と、叫んでも、それは、誰の耳にも、目にも、耳にも届かぬ。だから、私は、メンバーは、「人として、生きるメッセージを与えていく場」メッセンジャーであり得る。は、この30年を経過して、しっかりと、大田市民に伝わったような気がする。

私は、当事者達にお礼を述べたい。こんなに、嬉しい事は無いのである。

キャッチフレーズも、「明るく・爽やかに・さりげなく・豊かな出会いを」も、見事に、達成してきた。

しかし、戦後80年迎えて、私は気が付いた。と言うのは、明治維新の歴史も、大東亜戦争の昭和史も、学校教育では、いつも、スルーしていて、真実を習うことはなかった。私はたまたま、明治生まれの祖父母と、大正生まれの両親だったので、日本建国の初代の神武天皇のことや、教育勅語の話や、人民は「おおみたから」である事や、太平洋戦争ではなく、大東亜戦争である事も、八紘一宇(はっこういちう)のことも、知っていた。特に、父親は大東亜戦争に行き引き揚げて帰って来た。なので、私が生まれた。なので、父親は、いつも、「やれやれ、GHQが占領して、占領政策で、大東亜戦争も言うなと、教育勅語も廃止し、教育基本法とした。そして、そして、日本国憲法も、アメリカが作った、「憲法」が作られてしまった。やれやれ、平和憲法9条だと言って、自衛権もなくなった。まるで、アメリカ軍の植民地のような存在となった。