2025/11/06
本当に、歳を重ねると、「時」って、直ぐにサッと流れていくような気がします。本当に、摩訶不思議です。だってね。10月27日から、30日まで、東京に出かけていました。娘の所と、友達の所に行ったのです。久しぶりでしたので、「パスモ」を使ったりしましたからね。面白いのですよ。あの日は、丁度、トランプ大統領と、高市早苗総理大臣との、東京での会談もありましたからね。だから、東京に着いたら、警官達の配備もありましたしね。私の泊ったホテルも、外国人が多かったですね。浅草のホテルにいつも泊るのですが、ホテルも随分と改装されていました。ホテルに着くと、若いフロント係の人が、「お泊り」ですか?声を掛けられました。私は「あのね。もう、何年も昔から利用させて貰っているのよ」と、答えると、私たちの荷物をフロントまで運んでくださいました。そして、チェックインが済むと、「お部屋へご案内します。」と言って、案内してくれました。その20階は、すべて、お部屋が改装してあります。と言われ。成程なぁと、すべて新しく改装してありました。では、早速、浅草の町に行きましょうと、身軽な格好でお出かけです。浅草演芸場には、小学校の子ども達が、ニコニコと、並んでいます。「いいねぇ。小学校の修学旅行ですか?」「子どもは、感受性が強いから、いいよね。」「はい。浅草演芸場さんにお願いしたのです。」と、先生のようです。そして、私たちは、大衆演劇の「木馬(もくば)館」に行きました。人情物の劇なのです。その劇から、「丹下左膳」だったのです。いやはや、大衆演劇も面白いもんですね。御ひいき客が、お札を、その芸人さんの襟に、挟むのですよ。「わぁ。凄い。」と、ビックリです。
私は、その「木馬館」に入る前に、浅草寺の境内にある、「瓜生岩子女史の銅像に会いに行ったのです。日本のナイチンゲールと呼ばれた人なのです。
ちょっと、説明するとね。明治元年会津戦争で、敵味方なくけがの手当てをしたり死者の埋葬にも当たった。そして孤児や貧困者や、廃藩置県で行き場を失った武士たちへも、新しい技術や知恵を教えたりした。どうも、現在の社会福祉の基盤を作った人でした。1897年4月19日没(68歳)
「老いの身の ながからざりし 命もま助けたまへる慈悲の深さよ」
岩の二日前の和歌と言う。昔の人は、こんなに慈悲深い人がいるのかと、感心します。