2020/03/03
春の野辺には、からし菜、踊子草、タネツケバナ、オオイヌノフグリ、ホトケノ座、土筆の坊や、フキノトウがニョキニョキと、顔を覗かせています。うふふ。確実に春はやってきています。私は、この間、求めた書物に「おだやかに、シンプルに生きる」枡野俊明著があり、めくってみました。なるほどと、「春来たらば草自ずから生ず」の禅語に会いました。物事はおのずからやって来るということなのです。どんなに長く厳しい冬だったとしても、春が来れば自然に草木が芽吹いて来ます。どんなに暑い夏の日でも、やがては涼やかな秋風が吹いてくる。人間の計らいとはまったく関係なしに、季節は巡ってきます。人間の計らい事を越えたところに「真理」というものがあるのです。この禅語は、すべての物事は私たちの人智を越えた所にあることを言っています。生きていれば、苦しいことや辛いことに沢山出会います。嬉しいことや楽しいこともありますが、なぜかそれらは足早に去ってしまう。楽しいことは長く続かない。そういう意味からすれば、人生とは苦しみや悲しみの方が多いのかもしれません。それでも、どんな苦しみや悲しみも、いつかは和らぐということ。苦しみが永遠に続くことはありません。いかなる悲しみも時が経つとともにゆっくりと癒されて行く。春が来れば草木が芽吹くように、いつか苦しみから解放される時がやってくる。であるからこそ、私たちは生きていくことができるのです。何らかの悩みに襲われた時には、「いずれ、この悩みは消えるだろう。それまで放っておこう」と、思うことです。抜け出す時をじっと待つ。ただ自然の成り行きに任せてしまうことです。悲しみも同じです。やがては心が救われる時が来ます。それが心穏やかに生きるための知恵なのでしょうね。一人一人の人生は、本当にさまざまです。私の父の人生も、母の人生も、私がこの世に生命を受けたということは、両親の人生があったからこそ、この私という尊い命が誕生したことになります。私の母は、三年前の十月に、天寿を全うし旅立っていきました。その母は、最期の最後まで、「まちがいのないない心で、おだやかな日々を送らせていただきましょう」と、書き記していた。その通りに、過ごした人生は、「いい人生」だったようです。
となると、春来たらば、草おのずから生ずと、穏やかにシンプルに生きた母を忍ぶことができます。