2024/08/05
この暑い時に、私達の息子や娘は、自分たちの家族を連れて帰りたいと、この「夏休み」を利用して、一緒に返ってきます。娘家族は4人です。息子(次男)の家族は5人です。子ども達も高校生になると、中々共に帰ることはできなくなります。私達夫婦は、孫達ですので、帰ってくることは大歓迎です。それでも、家にいる長男夫婦は、私達の事を心配してくれます。
私達夫婦もお陰様で、元気ですので、「大丈夫だよ。」と。すると、娘も、連絡してくれます。「お母さん。大丈夫ですよ。食事の事は、自分たちでやるから、世話ないよ。」ですって。うふふ。有難いものです。
なので、お泊りの、4人分の寝具と、5人分の寝具を整えて、お部屋を片付けたのですが、大汗です。すると、玄関から、「ピン・ポーン」と、お客様です。そのお客様も大汗です。「お尋ねしますが、ここは、○○さんの関係のお寺さんでしょうか?」「あぁ。そうですね。当山ですね。」と、方丈さんにお知らせします。まぁ、玄関ではお話が見えませんので、お上がりくださいと、上がっていただきました。 お話が中々見えませんでしたが、お話が繋がってきました。そして、そのお墓にも行きたいということで、方丈さんは、車に乗せて、そのお墓地に行かれました。まだまだ、若い方でしたのに、一生懸命です。どうも、ご先祖様の関係性の方でした。どうも、その方は、四国の方でしたのに、わざわざ、そのことで、来られたようでした。
ご先祖さまをちゃんと、弔って、お墓に納めることができることは、案外出来そうでできないことなのかもしれません。なので、今、繋がっている者たちが区切りをつけるということで、大切なことなのかも知れない。それにしても、その墓地は、地元の方達がきちんと掃除をしておられたようだった。
私は、いつも思います。私達の命は、古代から、ずっとバトンタッチをしながら、今を生きているのだと思われます。五木寛之の「大河の一滴」の本を読んで、より、そう思った自分がいました。私達の生は、大河の流れの一滴にすぎない。しかし無数の他の一滴たちと共に大きな流れをなして、確実に海へと下って行く。高い嶺(みね)に登る事だけを夢見て、必死で駆け続けた戦後の半世紀を振り返りながら、いま私たちはゆったりと海へくだり、また空に還(かえ)っていく人生を思い描くべき時にさしかかっているのではあるまいか。
幸いなことに、日本人は、古代から、調和が保たれ、素晴らしい歴史を刻んできた。どうも、今の世紀は、歴史に学ぶ時が来たようだ。