7月31日です。暑い暑い日本列島です。東北地方は山形・秋田・青森は大雨です。

2024/07/31

やっぱり、戦後の日本の医療界も大変だったようだ。それは、武見太郎さんだった。1904年京都で生まれて、1957年(昭和32年)~連続13年日本医師会の会長をされた。そして、1975年(昭和50年)~1976年(昭和51年)まで、世界医師会会長をされた。1960年には、精神病院は牧畜業者だと発言した。(精神病院を経営する医師達は牧畜業者だと発言した。)

実は、私が勤めていた精神科病院も、昭和35年3月に、30床で開設している。全国では、雨後の筍のように、全国に精神科病院が建設されていた。私は昭和43年4月より、精神科病院の栄養士として、勤務している。病床数は、180床になっていた。私が勤めていた頃から、考えると、武見医師会会長は、医師会のドンだったようだ。特に精神科は、福祉法の手立てもなく、精神衛生法だったので、治安維持が先行していたように思う。本当に、あの頃は、檻の中の閉鎖的な所であった。たぶん、私は違和感を感じていたのだろう。耐えられなくて、「何とかしなければ!!」と、闘志を燃やしていたのだと思う。

しかし、しかしである。その医師会のドンだった武見会長の、息子さんが、1951年生まれの71才、武見敬三氏は、なんと、日本の政治家で、厚生労働大臣とか。やれやれだった。WHOのテドロス議長との癒着構造だった。

悲しいかや、命を守る方向ではなく、パンデミック宣言をしたときには、強制措置を取ると言う。強制措置とは、権力に物を言わせて、国民の命を奪うことになることに、なるのに、何故、その様なことが分からなてのだろうか。あぁ。悲しいかや、「自分だけ・今だけ・自分だけ」武見大臣には、辞めて欲しい。国会議員の皆さんも、本当の日本を知ってほしいし、官僚の人達も、もっと、我が国の国民の本当の気持ちを理解して欲しい。

何故、こんな悲しいことが、「日本国民が知らない間に決まっていくのだろうか」悲しいかや、本当の日本は、このまま、消滅するのだろうか。悲しいね。

折角、フランスのパリで、オリンピックが開催されて、メダルの数が、今のところ、世界一なのに。いやいや、一人一人が気づいて行けば、きっと、良い方向に行くはずだ。一人一人が、「物申し」発言をして行こう。