唯物論とは、何ぞやと、調べてみたが、私が答えとは、捉え方が違っていた。

2024/07/09

やれやれだった。私はどうもこの唯物論やマルクス主義には、昔から拒絶反応を起こしていた。特に、実家は曹洞宗だったし、嫁に嫁い所も曹洞宗のお寺だった。特にお寺には、曹洞宗大学(現駒澤大学)教授、総持寺独住第12世貫首、永平寺第71世貫首、曹洞宗第18代管長、全日本仏教会長を歴任されておられる高階隴仙禅師の「書」が溢れるほどに、我が寺には存在している。

だから、不思議と、我が寺は、その高階隴仙禅師の見えない「大きな気」が、溢れている。だから、「唯物論」「マルクス主義(社会主義)」とは、いつも、対峙していたような気がする。だから、損得勘定も大嫌いだったし、「いいか・悪いか」の二元論も大嫌いだった。だから、今のマークシートでの解答用紙も大嫌いだった。だから、今の時代の学校教育も、可笑しいなぁ❔ 変だなぁ❔と、いつも頭をかしげていた。

私が、子供だった頃のように、子ども達は、無邪気さが欠けているし、不思議と、学校へ行きたがらない子ども達が増えている。学校へ行かない不登校の子どもの多い事。そして、可愛い子ども達がいじめられて自死していく子供の多い事。なんか、変ですね。可笑しいね。

そうです。子ども達も、「唯物論」や「社会主義」の犠牲者なのではないかと、私は思う。特に、我が家は、高階隴仙禅師の書のお陰て、いつも「正しい気」が溢れているので、いつも、軌道修正してきた。特に、相田みつをの「書物」も「カレンダー」も有るので、いつも、リセット出来た。

どうも、我が国、日本は、政治家も経済界も、この唯物論やマルクス主義にやられてしまったようだ。だから、新型コロナウイルス感染症対策が、後手後手で、ワクチン接種などしなくても良かったのに、汚染それてしまった。

そもそも生命の大原則はなんなのか、考える時が来ましたね。

1 人間は魂を宿す。

2  魂の成長の為に、人格・環境・境遇が用意されている。

3  人の一生は魂の旅路からみると一瞬に過ぎない。

4 魂と人格の調和が真の喜びと平和をもたらす。

5 万物の創造主は愛で燃える太陽のような存在である。

人間の肉体は、魂の乗り物である。

なので、私はいつも、私の体は、私の魂を乗せているので、私はいつも二人いると言っていました。なので、私の体が死んでも、魂は阿頼耶識にいます。

私は、やっぱり、そうだったんだと、妙に納得しています。と言うのは、我が家には、その高階隴仙禅師の書に囲まれていますので、その「禅師の書の気」が溢れているからです。うふふ、なんか、日本人って、さらに、素敵でしょ。