根っこを失った現代人。仁平千香子作家から学ぶ。

2024/05/29

故郷を失った日本人。でも仁平千香子さんは、文学に救われたという。◎「根を下ろすということは、人間の魂の欲求である」

◎故郷=「根」・「脚」~自分の内側の軸

◎故郷が与えるもの=自分の誇り・生きる指針・命への感謝・先人への感謝

◎故郷を忘れた日本人=自虐的~村上春樹の「海辺のカフカ」から、中身の空っぽの貨車が喪失。中身だけでなく、貨車自体がすっぽりなくなるのが、「欠落」する。特に戦後教育を受けた私たちは、本当の歴史を知らず、只々、年表の記録で物語の歴史は学んでいない、自虐史観だけが過ぎ去る。まるで、歴史の物語りを素通りし、喪失と欠落をしてきた。自覚さえしていない。その中にあって、先人の松下幸之助氏は、世論は思想ではなく、お陰をさまをしっている人間は強い。そして、命の関係性と、連続性を知れば知るほど、孤独を忘れる。そして、松下幸之助は、入社試験に質問をする。「あなたは自分がついていると思いますか?」と、「はい。ついています。」と、答えた人を合格とすると。ヘレンケラーは、三重苦は人生の宝ですと。◎人間を深く知る手助けをする。人も社会も複雑だという当たり前を知ることが必要だ。それを、現代人は忘れている。情報社会で、新聞でもニュースでも、物語りとして理解できないのと一緒だ。それを、「知ったかぶり」をして、深くはしらない。人間を理解できていない。歴史は物語りなのに。村上春樹は、現代人は、「良き物語」・「重層物語り」よりも、「悪しき物語り」と「単純物語り」を受け入れて、「いい」・「悪い」と、単純を繰り返し、「断定」と「反復」を繰り返している。本当は、比喩(ひゆ)や喩え話(たとえばなし)を通して、知ることが大切だ。それは、自分が考えて、判断して選ぶ訓練をすることになる。自己本位と利己主義の違いを知ることになり、自己本位(自愛)は持っている、自分を信じること、利己主義は不充足感によって満足を追い求める。

「どうして、戦争はいけないのか?」

◎悲しいから。◎報道だけではどれ程悲しいのかわからない。

◎「かわいそう」ではなく~単純な物語りか

「悲しい」を経験する~重層的な物語り

さて、選ばされている私たち。◎他人の悲しみを理解することが出来ているのか? 現代人~他人事ではないか

どうもこれは、義務教育では出来ていない。道義的センスは義務教育では欠けている。=道義の根本は人の悲しみが分かるということだ。

内田林太郎の「かあさんのこころ」自分の悲しみしか知らない=未熟 他者の悲しみを理解する=大人になる。

◎過去の(日本)人の雅(みや)びな生き方を知る。

〇何を大切にして生きていたのか?

〇何に美しさを見たのか?

〇心の重層的な働きと流動的な働き

〇他者との出会いによって色々と重ねられる私たちの在り方。

どうも、日本人の大切な最低基準として、心構えかな、「あぁすればこうなる」ではなく、例えば、Ⅰ+1=2 ではなく、いかようにもなる、素直さと正直さが必要なようだ。

芥川龍之介は、近代以降の日本は根を失い不安定になった。「馬の脚」を書いた2年後に命を絶った。最後に残した言葉は、「ぼんやりとした不安」であった。~生きることに意欲を失った。

今の子ども達~国史、伝統~意識して学ぶので、知識より感覚で覚える。その点、今の大人は、戦後教育を受けたものは、意識して学ぶ必要がある。そこで、やっと、国史、伝統の重要性を知ることになる。自虐史観や依存する人は、弱い。