秋は、文化・芸術・食欲・読書・スポーツ・旅行・紅葉、黄葉・秋の七草も。

2023/11/06

ほんとに、日本人って、春夏秋冬を楽しむことができますね。私は、このコロナが明けてから、より日本人の素晴らしさが、鮮明に理解できるようになりました。11月に入って、文化の日があり、3連休のお休みがありました。お祭り(村祭り)が有ったり、文化祭が有ったり、マラソン大会が有ったりと、それぞれの皆が、それぞれに楽しむお休みでした。私も、この3連休にはと、チューリップの球根を植えたり、葉ボタンを植えたりと、花壇が整いました。村の鎮守のお祭りでしたので、おはぎを作ってお供えしたり。生ピーナッツが手に入ったので、ピーナッツご飯を炊いたりして、孫達にもお裾分けしたり、山口八幡にもお参りしたり、ついでにと、姫逃池まで、連れて行ってもらって、ススキの中の、竜胆を見つけました。山らっきょの花を探しましたが、ありません。自然館の職員の人がおられたので、声を掛けました。「山らっきょの花がどこに咲いているでしょうか。もう、時期が過ぎたかもしれませんけどね。」すると、その職員の方は、「僕は専門外ですので、入り口に、専門官がおりますので聞いてください。」と。「・・・・」キョロキョロしていると、山らっきょの花は、もうすでに枯れかかっていました。その枯れかかった山らっきょの花に向けて、カメラが装置してありました。そして、次には、もうおしまいの松虫草が咲いていました。私は、もうそれだけで、幸せ気分でした。

そして、午後からは、渋柿(西条柿)を亭主が採ってくれていましたので、それの皮むきです。それも、NHKのアーカイブの映画鑑賞しながらです。山本周五郎の「折鶴」を見ながらです。私は、山本周五郎の小説は大好きでしたので、とても、いい時間をでしたね。とうとう、60個位ありましたが、面白く向きましたよ。うふふ。いいもんですね。

そして、今朝のことです。亭主がいないので、どうしたのかと、思っていましたが、背戸から帰ってきました。すると、「あの柿を、吊るしておいたからな。」と。私はびっくりして、吊るしてある現場を見に行きました。すると、見事に、私が剥いた柿が、吊るしてありました。私は、この吊るし柿をすると、いつも思うのですよ。あの渋い柿が、吊るし柿になると、甘くて美味しい柿に変身なのです。だから、摩訶不思議なのです。

それは、人間にも言えるのです。『煩悩即菩提』なのです。このことは、仏教に教えられる究極の「幸せ」です。

煩悩がそのまま悟りの縁となることです。煩悩には、「三毒の煩悩」があります。(貪瞋痴)といいますが、

要は、欲・怒り・愚痴の心です。そこで、「渋柿の渋がそのまま甘味かな」と言う歌がありますが、渋が強いほど、甘味が強くなります。煩悩即菩提と言える由縁です。

となると、私たちの日々の生活で、煩悩ががあるままで、究極の幸せになれるわけですから、仏教では、苦悩の根元は煩悩ではないと教えられます。その煩悩と別にある苦悩の根元を断ち切れば、煩悩即菩提の幸せの身になれるのです。面白いでしょ。