2023/08/25
むずかしいことを、やさしく、優しいことを、深く、深いことを、おもしろく。永六輔さんの言葉です。
法にのっとり、比喩(ひゆ)を用いて、因縁を語るべし。道元禅師の言葉です。
ごく当たり前の生活を・実現させ、さらにより豊かな生活を手に入れられるよう・連帯の輪を拡げましょう。
恩師の谷中輝雄の言葉です。最近では、高森信子先生の、「生きているだけで立派です。」も、気に入っていますし。アントニオ猪木さんの、「花が咲こうが咲くまいが、生きていることが花なんだ。」も、気に入っています。
となると、歳を重ねていくことは、案外、自分のお気に入りの「言葉」に、励まされていることになります。
実は、このことは、自灯明(禅語)につながるのです。そして、ブッタが亡くなる前に弟子たちに残した言葉が、「法灯明(ほうとうみょう)と、自灯明(じとうみょう)」だったのです。
「法灯明」とは、心理を拠りどころにすること。要約すれば、真理、つまりは「本当に正しいこと」を頼りに生きていきなさいという意味の禅語です。それは、何かを信じることではなく、何が本当かを見抜き、考え抜く生き方ともいえるものです。そして、もう一つの「自灯明」を弟子たちに残しました。
「自灯明」とは、自分自身を頼りとして生きていきなさいという意味の禅語です。
自分自身を灯り(あかり)として、先の見えない暗闇のような人生を歩いていきなさい。ふいに、停電した夜に灯すローソクの明かりのように、頼るものが何もない場所でも、自分を頼りとすることで自分自身が明かりとなり暗闇を照らすことが出来るように。もし、自分以外の誰かを灯り火として、誰かに前を照らしてもらって生きていたのでは、その誰かがいなくなり明かりが消えたとき、人は真っ暗闇の中をさまようことになってしまう。それは生き方として非常に危うい。だから、他に寄りかかるような生き方はするべきではないと、ブッダは人生の最後に言葉を残した。
私は、お陰様で、この「法灯明・自灯明」が、古代から、人民は「大御宝(おおみたから)」の命をいただいています。だから、日本人は、一人一人が、自分の命を愛おしみ、「法灯明・自灯明」していく、役割があるように思えてなりません。それには、「生きててよかった。生まれて良かった」と、大いなる自己肯定感から、生まれるものだと思います。そして、それが、自分の生きざまを堂々と生きていくことだと思われます。
それこそ、「あるがままに生きる」ことに、つながるのではないかと思います。
うふふ。生きてて良かったですね。今を一生懸命生きていきましょう。光が当たり始めましたよ。