2020/01/15
今朝早くから、出さ雲市立総合医療センターにて、人間ドッグです。連れ合いの相棒の理事長と、一緒にです。しかし、理事長は、昨年には、直腸がんの手術をして、回復途上ですし、令和2年の2月には、腹動脈瘤が出来ていますので、その手術を行う予定になっています。だから、人間ドッグの中の、胃カメラ、超音波検査は、しないことにしました。私は、全ての人間ドッグを受けました。でも、結構早く順調に検査が出来ました。胃カメラ後の1時間は、食べ物を入れてはいけませんので、結局11時過ぎに、食堂に行き、朝食抜きでしたので、私は、レディースセットを注文しいただきました。コーヒーと、デザートが付いていましたので、デザートは、理事長が食べて、私はコーヒーをいただきました。よくぞ、人間ドッグをされましたと、ご褒美でした。こうして、一つ一つメンテナンスをしながら、頑張りますよ。外は、雨がずっと降っています。雨の出雲路を出雲大社方面に向けて走ります。浜山公園を通過し、とんと昔は、出雲からの大社駅までの、電車もありました。一畑電鉄の出雲大社駅は、存在していますよ。大社街道を走ります。神門通りに続く道が整備されています。日本海に向けて道は走っています。その手前には、神門川が流れ、大蛇(龍)の尻尾が翻った大橋を渡ります。ほぉ。オリーブ畑が整備されています。ははぁ。砂地で海風が吹くところに、オリーブは、育ちます。なるほど。と、ラジオからは、出雲市立て籠り男を逮捕「交際相手めぐりトラブル」と、流れています。へぇ。昨日からでしたので、人質を解放し、逮捕されたので一安心です。なんてぇこった。と、驚きです。日本海の海岸線を走ります。今日は、日本海は時化ています。海岸線の丘の上には、風車が20機でしょうか、ビュンビュン回っています。まもなくすると、キララ多岐に到着です。高速に上がらず、9号線を走ります。やっぱり、車は少なくて、悠々と走れます。私は、とんと昔が大好きですので、直ぐにタイムスリップします。
長閑な、町が続いていたのだろうなぁ。しかし、跡を継ぐ人がいなかった場合は、途絶えてしまうのだろうなぁ。
田儀櫻井家たたら製鉄遺跡が、奥田儀にありました。凄いですよ。江戸時代初期に仁多の可部家櫻井家初代直重が神門郡奥田儀村(現在の出雲市多岐町奥田儀)へ来住し製鉄業を起こしたことが始まりです。12代直明が明治23年(1890)に宮本の地を後にするまで約250年続きました。その間、盛衰はありましたが、出雲西部地域の一大産業として、出雲市多岐町にとどまらず、佐田町や大田市など隣接する一帯のたたら場を経営しました。凄いですね。そして、松江藩の庇護のもとで、良湾田儀の港を利用した神門郡の大工業として発展したのです。ここで、繋がりました。私の居る北三瓶地区は、その昔、松江藩の最後の殿様が、三瓶山の「人参畑」(朝鮮人参)を見に来られて、三瓶登山をされた。札座で休憩されたという。帰りは、田儀の櫻井家により、船で、平田まで行かれ、宍道湖を通って、松江城へ帰られたという。本当の事だったようです。今は、その村は、国指定遺跡「宮本鍛冶山遺跡」として、指定され、追加で聖谷たたら跡・越堂たたら跡が国史跡追加指定を受けました。凄いでしょ。となると、先人たちの生き様は、しっかりと、現代に引き継がれていることになります。温故知新ですね。