「罰が当たる」という戒(いまし)めの言葉を聞くことが減った。の「明窓」を読んだ。

2023/05/08

さぁ。罰が当たる人は、どんな人でしょう。悪いことばかりしている人・人の意見に耳を貸さない人・自分勝手な性格の人・人にやさしくしてない人・やたら偉そうな人・思い込みが激しい人・神様や仏さまを信じない人

私たちは、小さい頃から、「罰が当たる」からなと、言われて来ましたね。仏さまや神さまは、いつもお空から見てござるからな。そして、「天知る地知る己知る」と言って、この天地宇宙は、「ちゃんと、見てござる」からな。と言って育ち、正直者は一生の宝だからな。と言われ育って来た。

今回の「明窓」には、「水罰」(みずばち)という罰の話だった。それは、幸田文(明治生まれ)の昭和52年のエッセーだった。井戸を使っていた時代には、夏は冷たく冬は温かく、天地自然のおかげさまという思いは共通しており、水を粗末にすると親から「今に水罰があたって水で不自由する」と叱られた。洗濯のすすぎ水は井戸端を洗い、雑巾をすすぎ、道のほこり止めにまいた。ちょろりと流すと「お前に水がこしらえられるか」と言われた。

水道水の生活に慣れ、節水を怠ったという幸田文はエッセーをこう結んだ。「言葉が消えたとき心も消え、言葉と心が消えた後、じわじわと大水罰が当たりはじめるかな、と思う」

心を消さないために、おかげを刻む言葉の出番はまだまだありそうだ。

日本語って、そういわれてみれば、日本人の「宝物」であるような気がしてならない。もっと、もっと、日本人は、日本語を大切にすべき時代の到来です。うふふ。日本の「国歌」も素敵です。

「君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて こけのむうすうまあ~で」

5月3日~憲法記念日・5月4日~みどりの日・5月5日~こどもの日(端午の節句)

我が家も、山形から、次男家族が車で帰ってきました。コロナ禍でしたので、5年ぶりに帰ってきました。

孫達は、いつの間にか大きく成長して、孫の長男は高校1年生に・次男は中学1年生に・赤ちゃんたった長女は、小学3年生に。爺と婆さんは、喜びいっぱいでした。うふふ。幸せでしたね。