2023/03/01
3月と言えば、まず弥生三月といいます。語源は、木草弥生月(き・くさ・やよいつき)が変化したものだという事です。「弥」は、「ますます」とか、「いよいよ」という意味ですから、木や草がますます生い茂る月ということになります。そして、その月に咲く代表的な花が季節の呼び名になることもありますね。桃月、桜月という呼び方もあります。旧暦では、桜が咲く頃ですから、花咲月(はなさきづき)・花見月ともいいます。桜のことを夢見草ともいいます。そこから、夢見月と呼ばれるようになりました。面白いですね。日に日に暖かくなって、春を迎える喜びが、一番感じられます。ほんとに不思議ですね。枯れた木々から、新しい芽が出で、次々と花を咲かせる草木たち。春の妖精たちが、溢れます。うふふ。それを眺めて、美しい夢を見ることができます。とても、ハッピーな季節です。春を迎えるのに、子供の頃から、歌を謳って待っていたように思いますね。なんか、日本人って、素敵だなぁって、つくづく思います。外国人とは全く違う感性や情緒や、精神性があるような気がしてなりません。
「もののあわれ」茶道で言えば、「侘び・寂び」「わび・さび」、日本文化特有の美意識です。日本人なら、何となくわかっています。でも説明せよと言われれば、ちょっと、ためらうかもしれませんね。ちょっと、この際、私なりに説明してみよう。「わびさび」の意味は、おおまかに言うと、「日本文化特有の美意識や感覚のこと」です。日本人ならではの美意識というのは、静かさや質素さ。そして、何よりもそのものの不完全さです。日本人は完成された豪華なものよりも、少しなにかが欠落している物や静寂などを好む傾向があります。
「わびさび」」は合体させられた言葉ですが、本来の「わび」はどういう意味を持つのでしょうか。「わび」とは本来「侘び」のこと。動詞系の「侘び」が名詞系になったものです。そして侘びというのは「気落ち・悲観する。困惑、辛く思うこと」といった意味で使われていた言葉。主に心の面、感情や状態のことを指しています。それと同時に「静かな環境を楽しむ・閑静な暮らしを情趣する」という意味も。これは、中世に近づくにつれ確立されていったものであり、現在の侘びに最も近い意味でもあります。その時代に困窮していた者たちは、当時の暮らしを最初は嘆いていましたが、「どうしようもないのでさの生活を受け入れよう。そして、その状況の中で安住して楽しく生きよう」と思います。それこそが、今の状況を受け入れ静かな環境を楽しむことに繋がります。
侘びというのは、何事も楽観的に捉え、どんな状況でもそれを楽しむ精神的な豊かさを感じる言葉に。不足されている部分に美を感じるということにも通ずるものです。侘びは心の豊かさを象徴するかのような言葉でしたが、「さび」にはどのような意味があるのでしょうか。「さび」というのは「寂」。そして寂は「寂び」という動詞の名詞系です。「閑静の中や枯れたものにおのずと奥深さや趣が感じられる」というもの。つまり、見た目が欠けたものなどが特有の美しさを持つ。という意味で使われています。また同時に「寂しい・弱る」と本来はあまり良い概念では有りませんが、奈良時代には成立していたと考えられる万葉集では使われていました。しかし歌人の藤原俊成や松尾芭蕉が寂に美を見出し、歌の姿を寂にたちえ歌ったことで、寂に対する認識が大きく変わったとも。
簡単に侘びを内面的な豊かさの象徴とするなら、寂は外面的な美しさ。更に言うと、侘びは汚さなど受け入れ今を楽しむ精神性を表現したものです。ただ寂びは外面が寂れているのが良いのではなく、内面の本質が表面に現れていると考えられ、美の概念となった。内面と表面に焦点を当てた表裏一体のような言葉であるからこそ、侘び寂びはともに使われ「わびさび」と言われることが多いです。
「春よ来い。早く来い。歩きはじめたみいちゃんが。おんもへ出たいとまっている。」
「春ですよ。春ですよ。もう春だ。土筆の坊やがお目目をさまし。まだまだ眠い。ねむ~い。」