2023/02/09
今朝のことです。私の部屋から三瓶山が見えます。そして、西の空を見ると白い月が明るく光っています。
あぁ。いいなぁ。と、写真に撮ります。そして、お友達に、ラインで送りました。すると、返事が返ってきました。「確か、有明の月でしたよね。」って、嬉しいですね。直ぐに反応してくださる人がおられるなんてね。とても、嬉しくなります。そうか。やっぱり、日本人のDNAですね。小倉百人一首の中に、この歌がありました。
平安時代の歌人です。平安時代は、794年~1185年ですので、8世紀末~12世紀末のことです。うふふ。800年も昔のことです。ほんのりと夜が明ける頃、夜明けの空に残っている明るく光っている月を見ることがあります。800年も昔の人々も、今の私達も、同じように、有明の月を眺めています。
凄い事ですね。悠久の昔から、日本人としての感性は、変わることなく、現代人にも受け継がれていると思うと、日本人としての、大和魂が震えます。そして、それに、答えてくれる友がいることは、よりかんげきします。
ちょっと、横道です。戦国武将の織田信長・豊臣秀吉・徳川家康です。何故、最終的に戦国時代から抜け出して、天下取りが出来て、泰平の世の中を成立させたのか?一番に秀でたのが徳川家康でした。では、何故、家康は泰平の世の中を存続することができたのか? 秀吉、信長とは、何処がちがったのか?
3つ挙げて見ましょう。一つは、学問好きだった。 今川義元で、人質の身では、有ったが、大原雪斎(禅坊主)に可愛がられ、人間学・心理を学んだ。二つは、人質の身なのでくろうした。戦場に行くときには、いつも、先頭部隊で、逆境に打ち勝つことができた。松平の軍勢が強くなった。逆境を乗り越えて強くなる。大きな壁は、未来の為にあるのだ。飛行機も向かい風に向かって離陸する。白駒妃登美さん曰く。まさに、今の日本のようだ。
三つは、母の愛が大きかった。とかく、武将は女性に対して歪んだ愛を掴むと、崩壊する。しかし、家康は違った。女性に対する愛情が真っ当だった。特に、家康の母親・於大(おだい)は、愛情が深かった。人質の身では在ったが、愛情を充分に受けた。(一緒に過ごすことはなかったが、大きな愛に包まれていた。)