この大田市は面白くなりましたよ。

2023/02/07

実は、弟が旅立ったのです。私達姉弟は、3人いました。私が長女で、妹が次女で、弟が長男でした。本当は生老病死も順番には行かないものなのですね。姉弟の末っ子の方が先に行ってしまいました。不思議ですね。私達姉弟は、「あんちゃんは宝物」をこの体に染みこんでいますので、だから、病気になっても、けがをしても、自分を「つまらん者」とは、一度も思ったことはなかったですね。弟は、パーキンソン病と言う、厄介な病気になってしまいましたが、弟は、一度も「俺はつまらんようになった。」と、愚痴を言うことはなかったですね。いつも、前向きでしたね。そして、私の顔を見ると、「姉さん。頼むよ。」と、私の手をしっかり握り返していましたね。とっても、頼もしい弟でしたね。と言うのは、この亀の子を立ちあげるのに、いつも、弟にお世話になりましたね。あの当時、私は、理不尽な想いをいやと言うほどしましたからね。あの時ほど、「男に生まれていればと、悔しい思いをしましたね。」だから、弟には、本当に力になってもらいました。私の恩人でもあるのです。

その弟が、逝ってしまい。親族が集まりました。その親戚の中に、立花の横穴墓出土の頭椎太刀(かぶつちたち)に関与した親戚も来てくれたのです。その親戚は、父親の叔父の子どもだったのです。新聞にも載ったことがあったので、私はその場所が知りたくて、行って見たかったのです。

すると、その親戚のTさんは、「実はな。とても熱心な学者さんがいて、松尾充晶氏と言うんだ。」「ちょうど、その書物があるから、やるよ。」と言われて、弟の葬儀の時に持って来てくれました。もう、私は嬉しくて、弟が惹き合わせてくれたのだなぁと、感謝したところです。早速に、妹にその話をしたところです。すると、妹も、早速に、出雲大社の隣の歴史博物館に行き、その金剛装頭椎大刀(こんごうそうかぶつちのたち)~大田市立花の横穴墓から出土した装飾付大刀。「頭椎(かぶつち)大刀」は、日本書紀に見える。このような装飾大刀は、ヤマト王権が管理する地方の物部(もののべ)氏と深い関係があった豪族に与えられたものである。~展示してあるのを拝見したところでした。とても感激したと、ラインを送ってくれました。

そうなんです。石見人気質と、出雲人気質とは、実は、この国譲り神話からのことなのです。それには、この大田市の物部神社は、本当に、国譲りをするのか、監視役が、ヤマト王権から、遣わされたのが、物部氏だったのです。

実はね。この現代でも、その気質は今に受け継がれています。私は石見の国から、出雲の国の境目に位置する山口町に嫁ぎましたから。凄く納得します。私が嫁いだ頃は、石見にはない、山口には文化の薫りがしていました。

加納莞蕾さんの三瓶山の絵も、沢山出てきました。