「八雲たつ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくるその八重垣を」

2022/10/25

荒ぶれるスサノオノミコトは、高天原から追放されて、出雲の地に、出雲の地には、八岐大蛇(やまたのおろち)が大暴れ、長者の娘が8人いたが、次々に食べられてしまった。最後に残った、娘を、生贄(いけにえ)にされるのかと、嘆いていた。そこへ、スサノオノミコトがやって来た。長者は、娘を助けてもらえぬか。助けて貰ったらならば、娘を嫁に差し上げると。スサノオノミコトは、喜んで、それでは、退治した暁には、娘を嫁に貰うぞと、約束した。スサノオノミコトは、その八岐大蛇を退治するのに、考え抜いた。八つの酒樽に並々と、きつい酒を注いで、八つの酒樽をこしらえた。匂いを嗅ぎつけた八岐大蛇は、やって来た。八つの酒樽は、見事に空っぽになった。ぐうーすか眠っている時に、スサノオノミコトは、これ幸いと、切りつけた。すると、八岐大蛇は、怒り狂ったように、暴れ出した。スサノオノミコトは、上に下にと、切りつけた。暴れん坊のスサノオノミコトは、勇猛果敢に剣のさばきも、みごとなもの。とうとう、八つの蛇の頭を、切ってしまった。最後に一匹の尾っぽから、剣が出て来た。草薙剣(くさなぎのつるぎ)

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも言う。三種の神器の一つです。

スサノオノミコトは、めでたく、長者の娘、稲田姫と結婚し、「須賀の宮」に宮を建てた。これが、「日本初之宮」となった。そして、歌われた歌が、「八雲たつ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」が、日本で初めての歌とされる。

我が国は、本当に、神話と日本の歴史が、綿々と、受け継がれています。

私は、このコロナ禍の中で、先人達が作って来た歴史に思いを馳せることができた。私が育ってきた、戦後はなんだったのかと、深く考えることができた。両親や祖父母達の、生き様を通して、日本人のルーツを知ることになった。戦後の教育を受けた私は、いつも、何か虚しさを感じていた。空っぽの精神では、人格は生まれないし、「人間は何ぞや」と、いつも、思っていた。戦後の日本人は、自分のルーツも知らず、骨なし人間が多いなと、思っていましたが、やっぱりそうでした。どうも、GHQが占領政策といいながら、民主主義政策と言いながら、社会主義に煽動していたのでした。あぁ。やっぱり、そうか。批判する人の多いこと。「あれが悪い」「これが悪い」と、批判を繰り返す人の多いこと。特に、SNSが出始めてからは、ネガティブ発言の多いこと。

亀の子でも、メンバーと、いいとこ見つけをしようと、言っていますが、中々です。特に、統合失調症の方達は、被害妄想を持ちやすいですので、マイナス発言が多いかな。

それでも、聞く耳があれば、少しずつでも、プラス発言が多くなってきました。

そして、何よりも、明るく生きて行ければ、道は必ずや、開いて、明るい方に向いて来ます。

もしかして、先人達は、絶えず、明るくなるようにと、願っている事だろう。それが、現代人の、これからの恩返しなのかもしれない。