ぼっと生きてんじゃねーよ!  「チコちゃんに叱られる」

2022/02/01

チコちゃんは、5歳の女の子、おかっぱ頭で、どでかい頭、そのチコちゃんが、「ボ―っと生きてんじゃねーよ!」という決め台詞も絶妙で、一度聞いたら忘れない。私は、今の時代にピッタリなので、このチコちゃんの台詞をよく使わせてもらっている。小さな5才の女の子が「知ったかぶりをする大人」に向かって、発する「ぼっと生きてんじゃねーよ」は、私に対しても、行ってもらいたい「喝!!」だと思っている。

つい、昨日の朝礼でも、質問してみた。「さて、ここ大田市では、江戸時代の享保16年・1731年の事だ。はるばると、江戸からやって来た代官さん。石見銀山へ。入って、驚いたのは、ここ数年、飢饉が続き、お倉にも上納米が少ない。人々の暮らしも餓死状態だ。そこで、困った代官さん、薩摩の国に、雲水を使って、薩摩芋の種イモを、貰いに出かけた。その芋をやっとのことで、薩摩の国から持ち帰り、お百姓さんに、配り、植えてもらった。しかしだ。もうすでに植え付けが遅く、どの畑も、実らなかった。福光の、松浦与兵衛のお爺さんのとこだけが、実った。そして、その年の稲作も、ウンカが出てしまい、何とか退治していた矢先に、今度は大陸からイナゴの集団が大旋風でやってきて、実っていた稲穂は、そのイナゴで、食いつぶされた。そこで、その代官さんは、代官所のお倉を開けて、民百姓に分け与えた。その事は、実はこの事は罰則に当たり、代官は覚悟の上の所業だった。備中笠岡の陣屋にて、切腹して果ててしまった。たったの2年足らずのことだった。その後、この石見銀山では、代官の命と引き換えに、石見の民は助かったのです。ちょっと300年前の事なのですが、「芋代官」の石碑が500基位中国地方にはあり、この大田市にも身近に存在している。」「その石見の国の私達のご先祖さんを助けてもらった命の恩人の名前を知っていますか?」と、問うてみた。たった一人の人が、答えてくれた。後のメンバーは、知らなかった。そこで、私は、このチコちゃんの台詞を使った。

どうも、現代の日本人は、だいたいの皆さんは、「命の恩人」と言っても、ピンと来ないようでした。

もしかして、いやはや、お粗末な日本になっちゃいますよ。ご用心。ご用心です。