お早うございます。すっかり寒くなり冬物が恋しいですね。

2019/11/20

毎朝、窓の外の三瓶山を仰ぎ見て、お山から、ここ平地の長久町にたどり着きます。今朝の境木の温度計は、六度・七度・「おぉ。寒い。」ここ大田・長久町は、十一度です。しかし、小学生の孫は、半ズボンをはいて、元気よく「行ってきま~す。」です。本当に、子供を見ると元気が出ますね。私は、この頃、この世の中が、大きくグルっと変わる転換点に差し掛かっているなぁなんて、感じています。こんな気持ちになったのは、1995年(平成7)の、世の中の出来事でした。1月には、淡路神戸大震災でした。3月には、麻原彰晃のオウムサリン事件でした。この年は、私にとりましても、人生の大転換の時でもありました。大きな覚悟が必要でした。そして、この年は、ボランティア元年とも言われました。それまでは、勝ち組、負け組だと、煽られているようで、助け合いの精神が欠けていました。長く勤めていた、精神科病院を飛び出し、3月31日で、退職し、無認可共同作業所に籍を移し、1年間は、ボランティアでした。しかしです。精神保健法の一部を改正する法律が、平成7年5月19日法律第94号をもって公布されました。その中には、精神障害者保健福祉手帳の交付がなされ、やっと、福祉的手立てが出来たのです。私は、病院を退職し、やっと、彼たちの人権が取り戻せる時代がやってきたのだと、とても感慨深いものがありました。そしてそして、あれから、24年の歳月が経過しました。

その間、ここ大田市も、人権意識が、断トツに変わってきました。そう感じるのは、ついこの間、島根県立男女共同参画センター「あすてらす」開館20周年イベントが開催されたときのことです。私は、ソロプチミスト大田の会員ですので、「もみじのお茶会」を協賛でイベントに参加させてもらいました。そうです。20年前の「あすてらす」建設の時は、大田の女性たちは、消極的で、控えめな人が多かったようです。たぶん人権意識も、低かったように思います。障がい者に対しても、色眼鏡で見ている人が多かったように思います。それが今回は、オープニングセレモニーの時も、大田の女性たちは、とても素敵でした。JA女性部の会員の方達、大田商工会女性部の「あゆみ太鼓」の披露、石見銀山の女性コーラス花音(かのん)の歌声は、素晴らしかったです。私は、「なんて、素敵な事だろう。女性が活躍すると、やっぱり、大田は活気が出て元気になるのだなぁ。」と、嬉しくなりました。そして、亀の子のメンバー達も、三々五々やってきて、とても素敵な触れ合いが出来た。大田市長の楫野弘和市長も、来てくださり、島根県の丸山達也知事も生越県議も来てくださった。

そうですね。一人一人が、我が事として、ここ大田市を、島根県を住みよい、素敵な町にしようと思えば、必ずや、いい方向に向きます。令和の新しい時代は、そんな気がします。今日も、大田市立病院に行き、丁度お昼休みの時に、亀の子に居た、彼が、声をかけてくれました。「僕は、昼休みに、いつも、こうして散歩しています。」「あら。調子がいいのね。頑張っていますね。」「そうして、頑張っている自分を褒めていますか。」と、聞いてみました。すると、「僕は、あんまり自分を褒めません。自己肯定感がないのです。」「あれれ。それは、もったいない。自画自賛は、大事な事よ。まず、人間は、「自己愛」が、主軸だよ。」それが、あって、初めて、生きててよかった。生まれて良かったに、繋がるのよ。するとね。大いなる感謝が生まれてくるわよ。その彼は、「はい。分かりました。ありがとうございます。」と、言ってくれました。私は、よくぞ、声をかけてくれたのね。とても、嬉しくなりました。