広島に誕生した「男前」の物語を読んで❣️

2019/11/01

私は、亭主の理事長の入院で、またまた広島に生まれた「男前」を知ることになった。書物二冊の物語である。一冊は、「2045年、おりづるタワーにのぼる君たちへ」著者・松田哲也の書物だった。そして、もう一冊は、ヒロシマに美術館をプレゼントした男の物語で、株式会社日動画廊代表取締役副社長の長谷川智恵子著者の「瓦礫の果てに紅の花」だった。と言うのは、昨日に広島城で菊花展を観に行き、その帰りにひろしま美術館のCafeJardinに行き、ランチを食べたのです。中庭が見える素敵な所でした。壁面には一面にフランスのパリのセーヌ川の一番橋が描いてあるのです。カレーを食べたのですが、とっても美味しかったです。幸せになりましたね。美術館にも入りたかったのですが、諦めて🤦‍♀️、「瓦礫の果てに紅の花」著者.長谷川智恵子を求めました。そして、今日はその本を、病院に持って行き読んだ所です。ひろしま美術館をつくり、人々の心に希望の花を贈った男、井藤勲雄(いとういさお)。1908(明治43年)広島市生まれ。広島銀行元頭取。1945年8月6日、原爆による惨禍から辛うじて生き残り、その後、一銀行員でありながらフランス印象派を中心とした世界的名画を蒐め、広島銀行の百周年記念事業として、ひろしま美術館を建設、1978年(昭和53年)に開館し、初代館長となる。夢を実現したのち、1989年(平成元年)静かにその波乱の生涯を閉じる。81歳だった。私は、この本を読んで、あぁ!人は、一人一人、この世に誕生したことには意味があり、一人の人として、この世での使命を頂いているのだと強く感じました。この井藤氏は、原爆が落ちた日に、銀行は8時30分に朝礼が始まる。なのに、井藤氏は、いつも遅刻をしていた。8時15分に原子爆弾は落ちたので、井藤氏は辛うじて生き残った。大方の銀行員は亡くなったのです。その前にも、井藤氏は、軍人志望であったが、父親の希望で銀行員を勧められ銀行員になった。銀行員に勤めて始めて直ぐに肺気腫の病気になり2年も休んだ。その性で、兵隊も内地勤務となった。倉敷にある大原美術館の大原総一郎は、学友でもあった。そして、東京・銀座の日動画廊との出会い一枚のルノワールの可愛い少女像だった。ルノワール「麦わら帽子の女👒」井藤氏が70歳の時に、ひろしま美術館がオープンしました。そのオープンの時に、記念植樹が行われました。巨匠ピカソの息子クロードが、ひろしま美術館開館のために、はるばるパリから来たのです。マロニエの記念植樹です。私も、春に来た時に紅色の花が咲いていましたので、聞いてみました。すると、そのエピソードを聞いた事があったのです。そう思うと、いろんな事が、ちゃんと繋がっているのだなぁと思います。そのマロニエは、フランスのシャンゼリゼ通りのマロニエの並木なのです。私は、フランスのパリで、そのマロニエの実を持ち帰って植えました。イタリアのトリエステでも、このマロニエの実はいっぱい落ちていました。我が国では、栃木県の県木が、この栃の木なのです。マロニエの木の事なのです。栃木県の栃木の花は白色です。ここ広島のマロニエの花は紅い色なのです。とても素敵なのですよ❣️