無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり ソクラテスの言葉

2019/02/15

凄いでしょ。私は子どもの頃から、母が言っていました。「無知は罪なり」と、だから、知らない事を自慢してはいけません。私は、子どもの頃は、「何の事かいなぁ?」と、チンプンカンプンでした。でも、妙に頭の隅っこに、この言葉が過ぎっていました。だから、無知は純粋でピュアでいいのにと、思っていました。知は、頭かぶんすで偏見を持ちやすいのにと思っていました。不思議ですね。こうして年を重ねて来ると、ニュースを見ても、新聞を見ても、「あれっ!おかしいなぁ。」政治家さん達の言動にも、とても敏感に反応します。あぁ!「無知は罪なり、知は空虚なり」なのに、雄弁に話していることは何ぞや、決して「英知を持つもの英雄なり」とは、違うぞと、思ってしまいます。何故だろうと調べてみました。「ノブレス・オブリージュ」への意識が欠けているという。それは、高貴なる者に伴う義務とあり、身分の高い者は、それに応じて果たさねばならなぬ社会的責任と義務がある。これは、「武士道」にも通じるように思った。ここ最近、政治家さん達の失礼な物言いに、うんざりしていたが、障害者施策にしても、貧困の問題にしても、虐待にしても、その当事者の立ち位置で、自分とはかけ離れた世界でいるように見える人の事を慮(おもんばか)ることができること、それが想像することが出来るのかが問われると思う。つい最近でも、競泳の池江璃花子、白血病公表についても、政治家の発言は、思慮深さに欠ける。

客観とは、結局何かに成り代わった主観でしかありえない。本当に自分の立ち位置でじっと立ってしか物事を見られないことが許されるのは、子供だけなのです。知らなかった、学校で習っていない、私は聞いてなかった、そんな言い訳は通用しないのです。しかし、今時、知らなかった、聞いていなかったと、言い訳する人が、何とも、多くなった。やれやれです。実践的な知識を身に着けて、行動に移す大人でありたいものです。

よく考えてみれば、大方の日本人は、自分がここまで来られのは、大半は自力で得たものではないのである。全ては、たまたま運よくここまで来させてもらったのですので、大いなる感謝が生まれてくるはずです。ということは、言わずもがな、官僚や上流階級にとどまらず、全ての大人なのです。

「武士道」精神が、精神の徳が欠けていることに、なるのでしょうね。だから、官僚や政治家達は、がり勉で地位を得た人には務まらない事なのかもしれません。とっても、母が言った言葉は、意味が深かったことになります。

一生青春、一生勉強ですね。