2018/12/20
私たち日本人は、とても季節には敏感になって生きてきました。今朝のおお雷さんは、凄かったですよ。私は2階の間で着替えをしていたのですが、透明なガラス窓ですので、薄暗い辺りが全部見えます。冬の朝は、まだまだ暗いです。大きな雷さまが、ゴロゴロと鳴っています。すると、真っ赤な光が、ピカーと、光ります。その後、直ぐに、大きな音でゴロゴロと、唸り声をあげます。怖いですね。雷様が落ちたかもしれません。その後、雨が降りしきります。いつもの12月では、この雷さまを「雪おこし」と、言っていました。
そして、「あぁ!昨日のお葬式で良かったなぁ。」と、二人でしみじみ語り合います。「本当だねぇ。やっぱりおじ様は、仏心のある方で死に様も生き様も良かったから、ちゃんと何事も済ませて、ご安心だよね。」本当だね。お天道様も、ちゃんと味方してくださっているのだねぇ。有り難いねぇ。
凄いことを学びました。
「さわりがさわりのまま、さわりとならない世界に出るのです。」凄いでしょ。
それが生きる目的だと教えられたのが仏教であり、親鸞聖人なのです。
「さわり」とは、何でしょう。私たちの幸せを妨げるものです。「さわり」は、私たちの健康という幸せをさまたげる、病気やケガは、幸せな生活をさまたげます。試験やレポートも、幸せな社会生活をさまたげる、リストラや借金、人間関係のいざこざも「さわり」です。これらのトラブルの解決に、私たちは相当時間や労力をつぎ込みます。しかし、たいていうまくはいきません。「さわり」はなかなか手ごわいのです。どんなになくそうと思っても、なかなか「さわり」をなくすことはできません。子どもは子どもなりの「さわり」に苦しみます。高校生は高校生なりに、大学生は大学生なりに、社会人は社会人なりの苦しみ悩みがやってきてとてもなくせそうにありません。そこで、「さわり」を無くし切ったということがあるのか考えて見てください。ちょっと想像ができません。
振り払っても、振り払っても,無くなりません。だから、「人間に生まれてよかった」という体験ができません。
世界中の人がこれをなくそうと一生懸命苦労していますが誰一人、実りません。
政治も、経済も科学も医学も、結局「さわり」を無くそうとするんですが、全然できていないのです。ですから、これらの「さわり」をなくすことは出来ませんので、さわりをなくすのではありません。
「さわりがさわりのまま、さわりとならない世界に出るのです。」凄いでしょ!!
そのことが、実は、「武蔵の剣法」から、学ぶことが出来ました。そのことは、またゆっくりと伝えていきましょう。今日はここまでとします。