お早うございます。8月になりました。猛烈に暑い日々が続いています。

2018/08/02

今朝は、早朝散歩は止めました。読書の時間としました。杉本苑子さんの「終焉」です。うふふ。私が34歳の頃に求めていた書物でした。歴史書が好きな私は、もう昔からですね。再度、読み返して見るのもいいものですね。私は昔から、その主人公の家系図を書き出し、そして、関係性を書き出し、どのような行程で辿り着くのか、地形も加えながら読み進めています。でないと、何度も出てくる関係者が誰なのかと、ページを捲ることになるからです。今回も、書きだしながらです。すると、享保16年(1672年)の事ですので、江戸からこの石見の大森代官所に来るのには、いったいどのようにして、この石見までたどり着くことが出来たのかと、興味をそそります。

江戸からは、300数十里です。1200キロメートルです。現代では、出雲空港から一足飛びで、朝立てばお昼には着きます。あの時代にタイムスリップすれば、夢のようなお話です。そこで、7月末頃に出立です。40日か50日かけて、9月半ばに到着する予定です。品川から東海道をひたすら歩いて京都に辿り着き、京都から淀川行の船に乗り、大阪に着き、大阪からの便船に乗り岡山に上陸、そこからは高田川の舟に乗り換え、久世に向かう。久世からは、馬にて、出雲街道を、山陽と山陰を分ける山脈を行く、四十曲がり峠、根峠、美作と伯耆の国ざかいを通り根雨へ、出雲街道をひたすら歩き、田儀川に出雲と石見の島津屋のお番所に到着します。そして、そこから大森代官所まで5里の道のりです。20キロです。今思うのに、島津屋の道を通り、尾鷲を通り、波根の龍禅寺を通り、久手の刺鹿の円光寺を通り、城山を通過し、雪見通りを通り、栄町を通り、久利の龍昌寺を通り、大森代官所に到着されたようだ。凄いでしょ。346年も昔です。本当にあった事実なのです。私は、いつも「百聞は一見に如かず」と、「本物」「真実」が根本にあることを信じていますので、この根本は、嘘ではないからです。どうしても、私達は騙されたり、情報に振り回されたりしますが、こんなことを知っていると、案外、騙されたりしないのですよ。うふふ。真実は一つですからね。また続きは、次にお話しましょう。