今日は大暑の日です。

2018/07/23

ほんに、炎熱身を焼く夏の日も、鍛え鍛えし我がナイン♪ですね。今日も面白い記事を読みました。生きる意味は仏教に学びなさいです。あなたの心の姿が映し出される鏡とは、①他人という鏡、②自分という鏡、③仏という鏡、一体どれでしよう。③の仏という鏡だけが、本当の私の姿を映し出して見せてくれます。

「仏という鏡」とは、あなたの体でやっていること、口で言っていること、心で思っていること、それを知っておるぞ、聞いておるぞ、見ておるぞ、という「仏様のまなこにうつった貴方の姿」です。だから徹底して、ごまかしを一切排除して、ありのままのあなたのすがたを映し出して見せてくれます。それがこの「仏という鏡」です。

私は、「天知る地知る己知る」と、いつも思っています。天地の神々は知っている。そして、私も君も知っている。私は命の尊厳も、自分の命なのに、その命を自分自身が侵している人が意外にも多いことに頭を悩ませます。

お釈迦様の臨終のときに、「仏教とは一体何を教えられたのですか。」と問うと、お釈迦様は、「私が今まで教えてきたことは、法鏡(ほうきょう)である」仏教は「法鏡(ほうきょう)」だと言われています。

『法』とは、「ダルマー」ということで、真実の事。ありのままということです。

『法鏡』とは、ありのままの人間のすがたを映す鏡と言うことです。

法律とか、倫理・道徳とかと、法鏡は全く違います。 法律はごく粗い悪を取り締まります。人の物をとったり、人を傷つけたり殺したりする悪です。しかし、「殺してやる」と言ったり、思ったりしただけでは逮捕されません。例えて見れば、「肉眼」みたいなものです。倫理・道徳になりますと、「意地悪してはいけません」「挨拶をしましょう。」もっと細かい善悪を問題にします。例えれば、「虫眼鏡」のようなものです。

仏教の法鏡は、それに対して、「電子顕微鏡」みたいなものです。倫理道徳で問題にされないような悪でも法鏡では、悪だとされます。

おほほ!仏様は、全てお見通しでした。