2018/06/11
今朝の事です。精神保健福祉交流促進協会からのメールが届きました。訃報通知です。谷中輝雄先生と、仁木美知子さんが、リフレッシュのためにと、精神保健福祉交流促進協会を立ち上げられて、私もこの交流促進協会のお陰で、イタリアセミナーにも参加させて貰い、特にイタリアセミナーに行った時には、仁木美知子夫婦のお陰で、とても実りあるイタリア研修をすることが出来たのです。その、仁木美知子さんの訃報のお知らせでした。
もう、ビックリでした。そのお知らせは、6月9日に入っていました。6月10日(日)18時より通夜式、葬儀・告別式6月11日(月)11時30分より、喪主仁木守(夫)と、なっていました。
大慌てで、エスポアールの出雲の人が理事さんでしたので、電話を入れました。その彼女は、既に、東京へ向かったとの事でした。あぁ!そうか、既に遅しですので、諦めることにしました。その彼女が帰ってから、様子を伺い、他の方法でお悔やみをすることにしました。本当に、諸行無常です。
仁木美知子さんとの出会いは、平成4年頃のことです。病院の相談室で悶々としていたころのことです。埼玉県のやどかりの里を訪ねて行きました。当時、やどかりの里には、援護寮があり、宿泊が可能でした。夕食を、その仁木美知子さんが担当で、一人で20人程の当事者達の夕食を作るとの事です。私は、咄嗟に、私もお手伝いをさせてくださいと申し入れし、狭い台所で、ハンバーグを作りました。あの時、「森山さん、上手ですねぇ」と、褒められました。人間って、褒められると、ずっと心に留めることが出来るのですね。もう26年も前の事ですのにね。あの時には、当事者達と一緒に食事をしたり、お喋りをしたりしました。あの時も、何だ!島根の当事者も、大宮の当事者も、一緒だなぁと、思いました。だから、大宮のやどかりの里が特別ではない、大田でも「やどかりの里」は、できるぞ。と、大きな勇気を貰いましたね。今の亀の子の根っこには、そんな思いも十分にありましたね。私は、一つ一つの出会いを「力」に代えて、ここまで来られたのだなぁと、つくづく思います。
イタリアセミナーでは、仁木ご夫婦に、とてもよくしていただき、飛行機でもお隣の席で、お話に花が咲いたように楽しいものでした。孫の話で盛り上がり、爺バカ婆バカになったり、ベネチェアでのパントマイムのパフォーマンスに大笑いしたり、当事者達の絵画に、「あ!これも撮って、あれも撮って!」と、注文したり。ベネチェアのリアトルト橋「白い巨象」のたもとでのご夫婦のツーショットは、とても素敵でした。私のアルバムにも。
でも、お知らせがあっても、あまりにも、あっけないので、言葉が見つかりません。