2018/06/06
今朝は、梅雨が入り、雨なのです。散歩は取りやめました。雨の日は、ゆっくりと読書の日と決めています。私は、週一の金曜日にふぁみりーわーくへ行くのですが、とても気になることがあるのです。それは、すべてが比較・相対によるもです。白と黒、善と悪と言うように二元化しているような気がしてなりません。そうすると、全てが対立的な発想となります。人間には感情がありますので、対立的な発想となると、増愛の感を深めることになります。そして、善と悪、正と邪となり、一切の社会現象を両断してしまいます。ただ善や正はよい、悪と邪はだめだ、と概念的にあっさりと価値判断をしてしまいます。これだけでは解決になりません。だから、最近のふぁみりーわーくは、少し騒々しく、時々、トラブルが発生しています。その都度、ふぁみりーわーくの職員は、いつも丁寧にそのトラブルが何故発生したのか、一つ一つひも解いて、双方が納得できるようにと、和解に持って行くように一生懸命の姿勢が見られます。私は、それを見ていて、一体どうしたもんじぁろうかなと、頭をひねっていました。私の机の上に、「公安夜話」日々にいかす禅の智慧 松原泰道 の書物が置いてあります。それを、捲りました。「不思善悪」(ふしぜんあく)相対以前の絶対を凝視するの巻です。実はこの書物は、平成24年、2012年の5月21日(月)大般若法要と弘法大師供養を当山にて行い、その時に龍昌寺住職斎藤道親老師にお説教をしていただきました。その法要に私にプレゼントしていただいた「書物」なのです。私は、本日ただ今、悩んでいることに、光明を頂いたように、「あぁ!偏らない心、とらわれない心」どうしても、右だ左だ、いいだ、悪いだと、二者択一になる。それは、間違いなのだと気づきました。ものごとを二分して比較するところに真実はない。
いやはや、深い、深い、あっという間に、時間が過ぎていく、亀の子へ来ても、続きます。今の世界情勢の問題もだ。アメリカだ、北朝鮮だ、拉致問題だと、物事を二分して比較するところに真実はない。