2018/05/02
そんな日は、私のマイデスクに座ります。私が40代に書いていた「鶴・あるがまま」の冊子を、捲ります。すると、不思議な気持ちになります。私が生まれていない時の事から書いていますので、100年前か、150年前のことなのです。私は、あの40代の時に、明治生まれ大祖母のことのが気になって仕方ありませんでした。私が歴史が好きなのも、もしかして、先代達の生きざま全てに興味深々だったのかも知れません。この命が、過去の人々の暮らしから、生きざまをずっとずっと繋いできたと思うと、「生老病死」は、当たり前の事であり、生まれれば、必ず死はやって来る。死に変わり、生まれ変わる、人の命は、そうして受け継いでいくものだと。「よしあしの 中を流るる 小川かな」も、分かるような気がしてくる。「善し悪しの 中を生きるか 人の道」そして、日本人としての、精神性もしっかり受け継いできているような気がしてならない。最近は、年を重ねたせいか、日本の生末に希望を持ちたいと思い、政治学者や地政学者の藤井厳喜氏や西鋭夫氏のレポートを読むことにしている。
その方達のレポートは、真実が基になっているので、私の頭はクリアーになり、間違った情報を見抜くことが少し可能になった気がする。『「宗教と民族」の理解なくして、国際関係は語れない』日本人は、宗教心をもっており、生まれると、「お宮参り」に行きます。成長の段階で、女の子には、お雛祭り、男の子は、鯉のぼり、七五三でお宮参り、入学式、卒業式と、人生の節々を大切に重ねて行く、二十歳になれば、成人式を祝い、結婚式は、仏前だったり、神殿だったり、チャペルだったりと、厄年になれば、お宮参りに行き、60歳になれば、還暦祝いだと言いお宮参りに行く、70歳になれば、古希の祝いだと言いお宮参りする。そして、お盆になれば、お墓参りをする。お花を供えたり、故人が好きだったものをお供えする。そして、亡くなった祖父母の、一周忌法事、三回忌法事をする。それは、日本人は、自然な気持ちでする。目に見えない世界を信じている。亡くなった祖父母たちと、心が通じ合えると信じている。そして、合掌することができ、祈ることができる。私たち日本人の根っこの部分に、共通の言語、共通の歴史を共有できる、生活習慣も共有できる。それは、本当は素晴らしいことだったのだ。私たち日本人はみんな、先代から受け継いで来ている。
今日も、嬉しいことがあった。ここ亀の子の「のほほん」を利用しているY君の妹夫婦が、名古屋から車で帰ってくれた。そして、Y君の今後のことについて、亀の子の相談員と話し合いを持った。ここで、やっと支援体制が、点から線になり、「面」の支援体制が出来るようになった。セーフティネット(網の目)が出来るように、当事者がやっと、この町でごく普通に暮らしていきたいと、思えるようになった。とても、素敵な妹さんご夫婦に出会えて、私は、本当に幸せだった。そしたら、今度は仁多の方から、グループホームに入っているFさんの甥子さんのお嫁さんが来て下さった。お墓を整備したので、Fさんをお墓参りできるのだろうかと、尋ねて来られた。本当に素敵な家族が今日は訪ねて来てくださり、とても嬉しい思いになった。家族はこうありたいね。