虚心に聞く  過去の書類を片づけて!

2018/04/03

平成29年度が終了し、平成30年度を迎えた。施設長室には、過去貯まりにたまった書類が山済みです。さぁ!今日は戸棚の整理です。過去の書類が捨てられない私がいます。今日は思い切って断捨離です。「虚心に聞く」が出てきました。「個性の時代」「言論の自由」「表現の自由」とは何ぞや!なのです。私は、当事者達と、どう向き合えばいいのか、いつも自問自答の繰り返しだったようです。この「虚心に聞く」も正法眼蔵随聞記6の17から学んだものです。「わづかも己見を存ぜば、師の言ば耳に入らざるなり。師の言ば耳に入らざれば、師の法を得ざるなり。」

「個性の時代」と言われています。街中を歩けばときどきオヤッと思うようなかっこうに出会います。テレビを見れば、若者の多くが奇抜な姿をしています。本人たちはそれを個性の表現だと言っています。

「言論の自由」「表現の自由」がうたわれ、自由に生きることが当然の権利だと主張されています。自由とは、思い通り動くことだと考え、何をしても許されると解釈しているのでしょうか。人の迷惑をも考えず、好き勝手なことをして「私たちの自由でしょう」と言っています。個性や自由という美名にすっかり惑わされているようです。何が自由で、何が個性なのか、もう一度考え直してみる必要があります。

アメリカの新聞学の講義では最初に、「言論は自由である。だが満員の映画館で火事だ!と叫ぶ自由は誰にもない」と教わるそうです。自由は多くの「自由の限定」を伴っているのです。

「あの人は型破りな生き方だ」と、多少好意をもった言い方をします。基本の型がしっかりしているからこそ、型を越えた「型破り」が評価されるのです。何の基本も出来ていないものが思いつきで行動しても、決して「型破り」とは言いません。単なる奇行に過ぎないのです。

まず、基本の型を学ばなければなりません。それには何よりも虚心に聞くことが大切です。自分勝手な考えを捨てなければ、指導者の言葉は耳に入ってきません。都合のいいところだけ聞き、都合のいいように解釈していたのでは、いつまでたっても道理は解らないでしょう。

「自由」と「わがまま」とは似て非なる者です。はき違えては困ります。「自由」や「個性」は、生きるべき基本の道理が確立された上に成り立つからこそ、尊い意味を持っているのです。

 

そして、そして、私はコンビニエンスストアのローソンで、漫画本「君たちはどう生きるか」を見つけた。

高等学校の卒業式に、某高等学校の校長は、卒業生に、この漫画本をプレゼントした。とても粋な計らいと思い、私も読んでみたかった。この物語は、1937年に(昭和12年)に出版され、今もなお多くの人に読み継がれている。歴史的名著と言われる。原作、吉野源三郎 1896(明治32)~1981(昭和56)

「自分の生き方を決定できるのは、自分だけだ。人間としてあるべき姿を求め続ける、コペル君と叔父さん。

永遠の名作が、80年の時を経て、ついに漫画化!です。