お早うございます。散る花があって咲く花がある。

2018/03/15

星野富弘さんの誌画に「与えられることと、失うことは 同じ重さらしい 散る花があって 咲く花がある」なるほどなぁ。と、思う私がいます。ここ大田も、長い長い歴史の中で、私が幼少の頃の町の姿と、現在の大田の町の姿だけでも、大きく変わってきている。ひと昔を10年とすれば、古希ならば7昔となる。その間には、人の命も、生老病死となり、散る花があり、咲く花がある。町の姿も、鉄道が整備され、道路が整備され、商店が出来、学校が出来、役所ができ、病院が出来、人々の暮らし整う。しかし、ひと昔、ふた昔と重ねて行けば、整備されたものは、朽ちていく、それは、当たり前のことなのです。それを、何もせず、放置していくことは、衰えていくことになるのです。私たち人間様も、高齢となり、老化していきます。これも当たり前のことなのです。しかし、人間様は、この高齢化に向かって、健康長寿で行こうと、健康づくり、生きがいづくりと、精進を重ねています。しかし、これにも、個人差は出てきます。しかし、確実に人間様は、「生老病死」ですので、死に変わり、生まれ変わりと、明治生まれが死に、大正生まれが死に、昭和生まれがし死んでいきます。そして、平成生まれの人が、今年は30歳になります。このことは、まぎれもせず必然です。だからこそ、より良い社会となるよう、一人ひとりがいい方向を向きたいものですね。そう思うと、現代社会は、先代達が築いて下さった、住みやすい環境なのではないのでしょうか。社会制度も、随分と整い、暮らしやすくなったのではないでしょうか。

しかし、ですね。私は、何か、まだまだと思う私がいます。いつも、新しい時代をめざしている私がいるのかも知れません。今日も、島根電工の大田営業所の副所長さんが、ご挨拶に来られました。と、言うのは、その昔、ここ亀の子を立ち上げる時に、PCやプロジェンターや、電子黒板を整備したことがありました。あの当時は、PCもプロジェンターも電子版も、どこも整備する施設はなかったのです。市役所にしても、PCの整備はしてありませんでした。今では、職員一人一人がPCを使っています。その最初が島根電工さんだったのです。とても懐かしくお話をすることが出来ました。電子版は、もっと素晴らしい性能の物ができましたよ。と、重度心身障碍者も、学校へ行けなくても、タブレットが学校へ行くこともできますよ。等々、未知の世界が広がるようでした。

AIロボットも、進出です。さぁ!未知との遭遇ですよ。