きものと帯の小さな会に行けました。

2018/03/12

「呉服・わたなべ」に行けました。人間さまって、ほんとに不思議だなぁって、つくづく思います。というのは、私がまだまだ、幼いころ、祖母に連れられて、リヤカーで商いについて行っていました。祖母は、とても商いが上手で、駅通りの商店街の方達と、お馴染みさんとなり、とても重宝されていました。商いと言っても、お爺さんが鶏を飼っていましたので、その「たまご」と、野菜と、果物は夏みかんとか、二十世紀ナシを売り歩いていました。その一軒が、今日の「呉服・わたなべ」でした。今の店主ではなく、店主のご両親でした。いつも行くと、可愛がってもらいお菓子を貰っていたような気がします。幼心に、このお店の人はご贔屓にしないといけないなぁと、感じていましたし、商売が巧くいくように、お里は援助していたようでした。だから、私が成人式の時も、お嫁入するときにも、母親は、「呉服・わたなべ」で調達していました。嫁に行ってからも、母親は、私に無地のお召しを、夏物用、冬物用と揃えてくれていました。もう何十年ものご贔屓のお店でした。先代のご夫婦が亡くなられ、大田駅前にファミリーデパート「パル」が昭和52年頃に出来、そのパルの2階に「呉服・わたなべ」が移転しました。あの頃に、今の店主は、結婚され、そのお嫁さんは、私の弟の親友の妹さんだった。そのお嫁さんは、器量よしの着物がとてもよく似合う素敵な人だった。いつも店頭には着物姿で、天領踊りの時には、当亀の子の職員の帯も結んでいただいた。私は、着物大好きなので、お正月前には必ず、白足袋や半襟を買いに出かけていた。

そして、お喋りに花を咲かせていた。そんな中、その彼女は、癌を患い、あっという間に亡くなってしまった。

そして、悪夢のように、続けて、ファミリーデパート「パル」も倒産してしまった。その店主のことを思うと、私は掘ってはおけなかった。どうしてこんなにも続けざまに不幸が訪れるのだろうか、と気の毒に思う。そんな中、「きものと帯の小さな会」を開きますと言って、わざわざ、我が家までご案内に来て下さった。

今日が、最終日なので、慌てて、お昼休みに出かけてきた。店主も、「いつも、おばさんには、良くしてもらった。ほんなら、貰おうかなと買って下さった。ありがとうございます。」と、母の話もして下さった。「それなら、私も奥様に好くしていただいたから、ご褒美に、貰うことにしましょう。」と、無地調の小紋と、帯締めを求めた。昔々のご縁をつなげて行くこととしました。