2018/01/10
叔母の葬儀がありました。我が家は雪でしたので、ブーツを履いて葬儀に出席です。叔母は、私の実家からお嫁に行った人でした。ということは、私の父親の妹に当たる人です。だから、叔母の立場と、私の立場は同じなのです。その叔母は、実にこの私を懇ろに可愛がってくれました。私の青春時代は、叔母の下で暮らし、名古屋の栄養専門学校に通っていました。住まいは、叔母の家の近くの大きな御屋敷の離れ家を借りていました。そのお屋敷には、裏門があり、その裏門から出入りしていました。あの頃、従妹がいました。一つ年下の女の子と、四つ年下の女の子と、九歳年下の男の子がいました。(高校生、中学生、小学3年生)叔母からは、「登美ちゃんが来てくれたから、福が舞い込んだみたい」って、いつもいつも可愛がってもらっていました。叔父にも可愛がってもらい、名古屋の学校へは、黒い車に乗せてもらって、通学したことも何回もありました。
そんな、従姉妹たちと久しぶりに会い、懐かしい思い出に花を咲かせることが出来ました。何と、半世紀前のことですよ。50年も前のことです。でも、不思議ですよね。ちゃんと、事実のことですものね。生きて来た証ですものね。ほんに、生きているって凄いですよね。そしてそして、こうして繋がっているのです。
叔母の生きざまが、ここにちゃんと、死にざまになって、現われてくるのですね。頑張って生きて来た叔母に、合掌でした。その叔母の孫が女の子なのですが、「私ね。女の子なのだけど、お婿さん貰って、この家を守っていきたいのよ」ですって、わぁ!凄い未来は明るいね。と、とても嬉しい発言をしてくれました。有難いですね。
叔母さんの人生に乾杯!でした。