2017/12/08
今日は朝からしけています。さてさて、「家の光」って、いつ頃出来たのでしょうか?どうも、大正14年(1925)に、家の光協会が発足されました。そうすれば、もう100年もたった事になるのですね。私は、この「家の光」の意味を、私なりに使わせてもらった。と言うのは、亀の子 を利用しているメンバーは、大方の人が、家族から煙たがられている人が多かった。亀の子 創立の20年前のことである。私は、いつも、いつも、「人の命」は障害があろうがなかろうが、この世に生まれるべくして誕生した命だ。「宝物の命」だと語って来た。私には、揺るぎない信念が宿っていた。それは、幼少の頃、私が5歳の頃である。私の母親は、父親の一番下の弟(叔父)が知的障害があり、「あんちゃんは、字も読めないし、時計も読めないけど、我が家の「宝」だからな。」と私に話してくれていました。実は、妹も弟も、ちゃんと聞いていました。本当に有難いことです。だから、沢山のメンバーに出会った時に、なんで、家族に疎まれなければならないのか?合点がいかず、悲しい思いをしました。その時に、「家の光」って、何だろうと思いました。そして、沢山のメンバーの「家」は、光が当たっているのだろうかと、大田市全体を俯瞰して見ました。「あぁ。おまえはつまらん子だから、あっちへ行っとけ!お前は黙っとれ!」とメンバーは言われなき偏見を、もろに受けていた。「家の光」は、灯って無いなぁと感じました。私は、今からでも、遅くない気がついたものから、「家の光」になれるのだと、必死で話し続けました。親から、姉妹から、つまらん子だと言われても、本当は、つまらん子ではなかった。ちゃんと家を守って、ここまで来た事は、貴方自身が「家の光」だったのよ。どうして、「家の光」が消えて行くのか。よ〜く考えて見ると👀、「三つ子の魂百まで」と、言いますが、言葉は、やっぱり言霊と言って、魂があるのですね。小さい頃から、「いい言葉」を言うことは大切ですね。溢れるほどの「ポジティブアクション」が大切ですね。それも、過去に感謝し、未来に希望を、そして現在は、緊張の舞台ですね。