お早うございます。

2017/11/28

今日は、いいお天気です。野山はすっかり晩秋の気配です。三瓶のお山もすっかり冬に向けての準備が始まっています。北三瓶から大田の町へ下りてきますが、野山もすっかり枯葉で覆われています。今年は、ハゼの木の紅葉が少ないなぁと言いながら、枯葉が舞い散る中、景色を堪能しながら、大田の町へ。おぉ!大田城のお山も、枯葉色に染まっています。おぉ!野井の山も、いい感じです。何と、その野井の山に大田静間道路がつくということで調査が始められています。そして、お山の中腹辺りに、弥生時代から奈良・平安時代にかけての大規模な集落遺跡が見つかったとのこと。凄いでしょ。2000年前の大田ですよ。タイムスリップしてみましょうか。なんてね。私は、想像するだけでも、悠久のふるさとが見えてくるのですよ。

私の今いる場所の事を想像するだけでも、夢が膨らみます。ここ亀の子の場所は、きっと、川だったような気がします。小川がさらさらと流れていたような気がします。もしかして、鮎も泳いでいたかもしれません。もしかして、古代人が子どもを連れて、魚を捕まえていたかもしれません。そして、周りは一面に広がり、豊かな稲が作られていたかもしれません。人々は、その中で、のんびりとゆっくりと大笑いしながら生きていたような気がします。うふふ。案外と、素敵な時代だったように思いませんか。私は最近五木寛之の「下山の思想」が気になってきました。我が国もそして世界が病んでおり、急激に崩壊へと向かいつつあることは肌で感じてきている。それでいて知らん顔して暮らしている気がする。でも、現実は大部分は真実と認めないわけにはいかない。これは、私一人ではないみんなが感じていることだと言える。今までの時代は、登山で言えば、登山重視の時代であった。しかし、21世紀に入り、下山重視の時代へと大転換を遂げつつある。だから、「登頂」後の下山の時代をどう認識し、どう生きるかが新しいテーマとして登場してきた。言い換えれば、日本人一人一人の時代認識と生き方そのものが歴史的変革を迫られている「成長神話の呪縛を捨て、人間と国の新たな姿を示す画期的な思想」

「下山の思想」をもう少しじっくり読みなおそう。