2017/09/07
窓を開けると、雨は降り続いています。駐車場に見事に咲いていた真紅の百日紅(さるすべり)も白色のさるすべりも、地面を白色と紅色に染めています。我が家の庭の玉砂利もすっかり濡れて、水が溜まっています。樹々も濡れています。いつも目の前に見える三瓶山も雲に覆われて見えません。でも、いいものですね。心は何故か落ち着いて、平常心になれますね。そして、朝のNHKのニュースを見ます。すると、私が今まで読んでいた月刊誌の「そよ風のように街に出ようよ」の発行終了のニュースでした。その記事の中で、相模原事件を訪ねて、副編集長小林敏昭を読んでいた。その記事を見つけて、8月の東京出張の折に「津久井やまゆり園」を訪ねようと思ったのでした。そこで、NHKが「19のいのち」のサイトを立ち上げたとのことでした。そんなニュースを聞いて、亀の子へ出勤です。早速、「19のいのち」のサイトにアクセスしました。いやはや、サイトには、全国の皆さん方からの意見が沢山掲載されていました。10代から70代の方々が、それぞれに、その19のいのちについて述べておられました。私は、とても嬉しく思いました。今までの社会は、どうしても経済優先一辺倒で、勝ち組、負け組と、競争社会に翻弄されてきました。だから、仕事のできない人は、「役立たず」と、蔑(さげす)まれてきました。ふぁみりわーくのメンバーの中には、「働かざる者、食うべからず」と、ずっと、自分を苦しめてきた人もいました。私は、2000年(平成12年)を迎えた時に、やっと時代は、新しい時代の突入だと思いましたね。21世紀の扉は、「心の時代」だと思いました。しかしです。まだまだ、経済優先が続いています。
違うでしょ!っと、私は叫びたい。私は幼少のころから、「人」は「宝」だとインプットされて、成長してきたので、「金」は「宝」と、結びつかない自分が居た。そして、ご縁があって、精神障害者の人達と出会った。その時も、「人」は「宝」が、あの時代は、中々通用しなかった。その時に出会ったのが、「当事者主人公の病院」「当事者の想いを科学する当事者学問」を提唱していた、谷中輝雄氏だった。もう30年も前の事です。あの時、私は、精神的美しさを秘めたケースワーカーに憧れていた。1995年(平成7年)あの時代は、激動の時だった。日本列島は、大揺れに揺れた。私も人生の岐路に立っていた。決断して、「人」は「宝」の座標軸に戻ることができた。そして、2000年を迎えた時に、「医療の主人公は患者さん」として、県立中央病院が建設された。院長は瀬戸山元一氏であった。この時は、やっぱり、私の決断は間違っていなかったと確信できた。時代は確実に、一歩一歩前進していると思えた。しかし、「心は金で買える」などと、物騒な事をいう人も現れて来た。しかし、惑わされることはなかった。