価値があろうがなかろうが生まれてきたことが、この国の宝の命です。

2017/08/10

それが、人権です。 いつか、きっと、命の魂(尊厳)が差別されない世の中にしていきます。と、鎮魂に祈りて、として、津久井やまゆり園にお手紙をしたためました。そして、「百聞は一見に如かず」で、行くことが出来た。そして、実際に計画を立てて、この足でこの目で、その現場に立ち会うことが出来た。また、そのことが実際に出来る環境に立てていることも感謝の賜物だと思う。イタリアの精神病院がゼロも、「百聞は一見に如かず」で行ってみた。その時も、そう思った。人間はとかく「ひとごと」で片づける。だから、政策にしても「ひとごと」だから、「政策は立てても実行し実践にはならない。」まぁ!笛吹けども踊らずかもしれない。その証拠に、私がイタリアへ行ったのは2012年の事だったので、もう5年も経ってしまった。精神病院の入院患者病床数は、相も変わらず、先進国でありながら、断トツでトップなのは同じだ。その時にも、島根県でも退院支援協議会が開催され、私も委員会に出席していた。その時にも、私はイタリアの精神病院ゼロの話をだして、我が国も、この方向には行かないものか提言したことがあった。しかし、この時も、ある委員からこんな発言があった。「森山さんがイタリアへ行って、イタリアの話をされても、ここは日本なので、日本のやり方でやっていくことだ。」と、発言され、私は、もう反論する気さえ起らなかった。その位、委員の方達も、視野の狭い考えに固執していた。ここでも、外国の事なので、「ひとごと」だったのだ。どうして、目の前の事だけに、目が行くのだろうと、考えた時に、どうも「お金」がついて回るようだ。損得勘定のそろばんが出てくるようだ。

どうも、合理的人間が増えてきたのかもしれない。お金にならなければ、そんなことはしない。もしかして、「ケチな人間」が増えてきたのかもしれない。ということは、「楽してお金を稼ぐ」となり、他人が困っていても自分には関係ない、「他人事」の人が増えたのかもしれない。こうして、書いてみると、全部、後ろ向きで未来に希望が持てなくなってしまう。 ここが、実はポイントですね。「我が事・丸ごと」地域共生社会の実現に向けて、考えられるような人間をいかに育成していくか、今、ちょうど曲がり角に立っているような気がしてならない。まず、気が付いたものから前進あるのみです。