花有情 青山俊薫先生の文章から

2017/05/11

四季の変化の豊かな、恵まれた自然環境の中で育った繊細な日本人の感性が育てた日本語の豊かさと美しさである。同時に、その日本語が次第に死語になりつつあることは残念でならない。同時に、その日本人の感性を育てた豊かな日本の緑の山野が、人類の身勝手さから汚染され、次第に荒廃してゆく姿も悲しい。

たとえば、梅や桜は「散る」といい、椿は「落ちる」という。牡丹は「くずれる」、朝顔は「しぼむ」、そして萩や満天星(どうだんつつじ)は「こぼれる」と表現する。花が散るという一つのことを表現するのに、これだけ豊かな言葉を持っている国が、ほかにあるだろうか。

「修学旅行先で車に酔った子どもは、裸足にして土を踏ませるとすぐに治ります。問題はその土を探す方が大変なのです」。ある日の小学校の先生の語らいである。人類も大自然の一環。人類の都合で大自然を汚すことのないよう、地球的視野のもとにこの汚染をどう食い止めるか、本気で考えねばならないと思うことである。

私は、青山俊薫先生の文章に触れると、何故か心が癒されるのです。本当に不思議です。